2017年度
ジャズ大賞
阿川泰子 Yasuko Agawa ヴォーカリスト
神奈川県鎌倉市出身。女優を経て、1978年にアルバム・デビューを果たすと「ネクタイ族のアイドル」などと呼ばれ、瞬く間に時の人となる。以後コンスタントなアルバム制作やライヴ活動で支持を広げ、1987年にテレビ番組の司会を務めた以降は、誰知らぬ者のいない存在となった。その正統派ジャズ・ヴォーカルを継承しつつもコンテンポラリーなテイストを兼ね備えたスタイルは、今なお健在でトップ・スターとして君臨し続けている。その功績により、一般社団法人日本ジャズ音楽協会から2017年に「ジャズ大賞」、2019年「名誉会長賞」をダブル受賞。
神奈川県鎌倉市出身。女優を経て、1978年にアルバム・デビューを果たすと「ネクタイ族のアイドル」などと呼ばれ、瞬く間に時の人となる。以後コンスタントなアルバム制作やライヴ活動で支持を広げ、1987年にテレビ番組の司会を務めた以降は、誰知らぬ者のいない存在となった。その正統派ジャズ・ヴォーカルを継承しつつもコンテンポラリーなテイストを兼ね備えたスタイルは、今なお健在でトップ・スターとして君臨し続けている。その功績により、一般社団法人日本ジャズ音楽協会から2017年に「ジャズ大賞」、2019年「名誉会長賞」をダブル受賞。
秋満義孝 Yoshitaka Akimitsu ピアニスト
1929年(昭和4年)8月19日東京都生まれ。武蔵野音楽大学ピアノ科中退。1947年から活動を始め、1948年に「松本伸とイチバン・オクテット」に入団。1953年「鈴木章治とリズムエース」の結成時に南部三郎、浅原哲夫と参加し、のちに加わる原田イサムとともにリズムエースの黄金時代を築き上げる。1957年には秋満義孝クインテットを結成。“日本のテディ・ウイルソン”と呼ばれた。ヴォーカリストのペギー葉山との名コンビはペギーの死まで続いた。スウィング・ピアノの第一人者として、現在も活躍中である。
1929年(昭和4年)8月19日東京都生まれ。武蔵野音楽大学ピアノ科中退。1947年から活動を始め、1948年に「松本伸とイチバン・オクテット」に入団。1953年「鈴木章治とリズムエース」の結成時に南部三郎、浅原哲夫と参加し、のちに加わる原田イサムとともにリズムエースの黄金時代を築き上げる。1957年には秋満義孝クインテットを結成。“日本のテディ・ウイルソン”と呼ばれた。ヴォーカリストのペギー葉山との名コンビはペギーの死まで続いた。スウィング・ピアノの第一人者として、現在も活躍中である。
五十嵐明要 Akitoshi Igarashi サックス奏者
1932年(昭和7年)6月2日東京都中央区八丁堀生まれ。若い頃から「原信夫とシャープス&フラッツ」、ブルーコーツ、ジョイフル・オーケストラと、一貫してコンサート・マスターを務める。1989年にはモントレー・ジャズ・フェスティヴァルに出演。また1994年にはニューヨークの音楽の殿堂カーネギーホール、アポロシアターにも出演。アルバムは『SAX TALK』『SWING TIME』など多数。現在は、自己のカルテットを率いて東京を中心にライヴ活動を展開中。
1932年(昭和7年)6月2日東京都中央区八丁堀生まれ。若い頃から「原信夫とシャープス&フラッツ」、ブルーコーツ、ジョイフル・オーケストラと、一貫してコンサート・マスターを務める。1989年にはモントレー・ジャズ・フェスティヴァルに出演。また1994年にはニューヨークの音楽の殿堂カーネギーホール、アポロシアターにも出演。アルバムは『SAX TALK』『SWING TIME』など多数。現在は、自己のカルテットを率いて東京を中心にライヴ活動を展開中。
猪俣 猛 Takeshi Inomata ドラム奏者
1936年(昭和11年)2月6日兵庫県宝塚市生まれ。宝塚歌劇団のオーボエ奏者の父のもと、宝塚市に生誕。兄も有能なトランペッターであったことから、幼い頃から音楽に囲まれて育った。兄から薦められてベニー・グッドマン楽団がカーネギーホールで演奏した「シング・シング・シング」を聴き、ジーン・クルーパのドラミングに感動してドラマーを志す。上京して日比谷公園の中の日比谷倶楽部などで演奏。五十嵐武要の後をうけて「西条孝之介とウエストライナーズ」に入団。のちにリーダーを務める。以後演奏活動と並んでリズム・クリニック・センターを設立し若手の育成にも注力。1994年にビッグ・バンドを率いてカーネギーホールの舞台にも立った。2017年末には文化庁長官表彰受賞。現在も後輩の育成・教育にも力を注いでいる。
1936年(昭和11年)2月6日兵庫県宝塚市生まれ。宝塚歌劇団のオーボエ奏者の父のもと、宝塚市に生誕。兄も有能なトランペッターであったことから、幼い頃から音楽に囲まれて育った。兄から薦められてベニー・グッドマン楽団がカーネギーホールで演奏した「シング・シング・シング」を聴き、ジーン・クルーパのドラミングに感動してドラマーを志す。上京して日比谷公園の中の日比谷倶楽部などで演奏。五十嵐武要の後をうけて「西条孝之介とウエストライナーズ」に入団。のちにリーダーを務める。以後演奏活動と並んでリズム・クリニック・センターを設立し若手の育成にも注力。1994年にビッグ・バンドを率いてカーネギーホールの舞台にも立った。2017年末には文化庁長官表彰受賞。現在も後輩の育成・教育にも力を注いでいる。
小曽根 真 Makoto Ozone ピアニスト、作曲家
1961年(昭和36年)3月25日神戸市生まれ。1983年バークリー音楽大学ジャズ作編曲科を首席で卒業。同年米CBSと日本人初のレコード専属契約を結び、アルバム『OZONE』で全世界デビュー。以来、ソロ活動のほか、ゲイリー・バートンらトップ・プレイヤーとの共演や、自身のビッグ・バンド「No Name Horses」を率いてのツアーなど、最前線で活躍。2016年には、チック・コリアとの日本デュオ・ツアーを成功させ、2017年にはゲイリー・バートンの引退記念日本ツアーを催行。同年11月にはニューヨーク・フィルに招かれ、「バーンスタイン生誕100年祭」に出演。2020年はNo Name Horses の15周年記念アルバムをリリース。映画音楽など作曲にも意欲的に取り組み、多彩な才能でジャンルを超え、幅広く活躍を続けている。
1961年(昭和36年)3月25日神戸市生まれ。1983年バークリー音楽大学ジャズ作編曲科を首席で卒業。同年米CBSと日本人初のレコード専属契約を結び、アルバム『OZONE』で全世界デビュー。以来、ソロ活動のほか、ゲイリー・バートンらトップ・プレイヤーとの共演や、自身のビッグ・バンド「No Name Horses」を率いてのツアーなど、最前線で活躍。2016年には、チック・コリアとの日本デュオ・ツアーを成功させ、2017年にはゲイリー・バートンの引退記念日本ツアーを催行。同年11月にはニューヨーク・フィルに招かれ、「バーンスタイン生誕100年祭」に出演。2020年はNo Name Horses の15周年記念アルバムをリリース。映画音楽など作曲にも意欲的に取り組み、多彩な才能でジャンルを超え、幅広く活躍を続けている。
外山喜雄 Yoshio Toyama トランペット奏者、ヴォーカリスト
1944年(昭和19年)3月5日東京都港区芝生まれ。中学2年でトランペットを吹き始め、早稲田大学時代はニューオルリンズジャズクラブで活躍。1967年夫婦でニューオリンズに渡る。老舗ジャズ・スポット「プリザヴェーション・ホール」の裏に住み、バンドを結成。1969年に一時帰国し、「外山喜雄とニューオリンズ・セインツ」で活動。1971〜73年は再びニューオリンズで活動。1975年「外山喜雄とデキシーセインツ」結成。1983年の東京ディズニーランド開業から2006年まで人気バンドとして演奏。1994年にルイ・アームストロング・ファウンデーション日本支部(1998年から日本ルイ・アームストロング協会)を設立。「銃に代えて楽器を」をスローガンに、ニューオリンズ市の子供たちに楽器をプレゼントする運動に取り組み、2005年に外務大臣表彰を受ける。2018年アメリカで「スピリット・オブ・サッチモ賞生涯功労賞」を受章。
1944年(昭和19年)3月5日東京都港区芝生まれ。中学2年でトランペットを吹き始め、早稲田大学時代はニューオルリンズジャズクラブで活躍。1967年夫婦でニューオリンズに渡る。老舗ジャズ・スポット「プリザヴェーション・ホール」の裏に住み、バンドを結成。1969年に一時帰国し、「外山喜雄とニューオリンズ・セインツ」で活動。1971〜73年は再びニューオリンズで活動。1975年「外山喜雄とデキシーセインツ」結成。1983年の東京ディズニーランド開業から2006年まで人気バンドとして演奏。1994年にルイ・アームストロング・ファウンデーション日本支部(1998年から日本ルイ・アームストロング協会)を設立。「銃に代えて楽器を」をスローガンに、ニューオリンズ市の子供たちに楽器をプレゼントする運動に取り組み、2005年に外務大臣表彰を受ける。2018年アメリカで「スピリット・オブ・サッチモ賞生涯功労賞」を受章。
森 寿男 Toshio Mori バンドリーダー
1932年(昭和7年)10月3日大阪府生まれ。1946年から活動する日本最古のビッグ・バンド、ブルーコーツ・オーケストラの3代目リーダー。同バンドは、最も長い歴史と伝統を誇っており、黛敏郎、穐吉敏子、ナンシー梅木、スリーグレイセスら、数多くの有名な音楽家を輩出している。1970年、東京藝術大学出身の森寿男が3代目リーダーを引き継ぎ、カウント・ベイシー、デューク・エリントンの精神とフィーリングを追求し、心に語りかける暖かいサウンド創りを目標に演奏活動を続けている。ブルーコーツ・オーケストラは2021年、結成75周年となる。【2022年12月1日逝去】
1932年(昭和7年)10月3日大阪府生まれ。1946年から活動する日本最古のビッグ・バンド、ブルーコーツ・オーケストラの3代目リーダー。同バンドは、最も長い歴史と伝統を誇っており、黛敏郎、穐吉敏子、ナンシー梅木、スリーグレイセスら、数多くの有名な音楽家を輩出している。1970年、東京藝術大学出身の森寿男が3代目リーダーを引き継ぎ、カウント・ベイシー、デューク・エリントンの精神とフィーリングを追求し、心に語りかける暖かいサウンド創りを目標に演奏活動を続けている。ブルーコーツ・オーケストラは2021年、結成75周年となる。【2022年12月1日逝去】
2017年度
会長賞
杉原 淳 Jun Sugihara サックス奏者
1936年(昭和11年)8月6日神奈川県鎌倉市生まれ。生まれ。「沢田駿吾とダブル・ビーツ」でプロとしてデビュー。その後、世良譲のグループを経て自己のバンド「杉原淳とイーストサウンズ」を結成。ファンキー・ジャズで人気を博す。1969年「大橋巨泉とサラブレッズ」に参加。日本テレビ「11PM」に16年間レギュラー出演する。その後はプロデューサーとしても活躍。アルバムは『EASY LIVING』など多数。【2018年12月23日逝去】
1936年(昭和11年)8月6日神奈川県鎌倉市生まれ。生まれ。「沢田駿吾とダブル・ビーツ」でプロとしてデビュー。その後、世良譲のグループを経て自己のバンド「杉原淳とイーストサウンズ」を結成。ファンキー・ジャズで人気を博す。1969年「大橋巨泉とサラブレッズ」に参加。日本テレビ「11PM」に16年間レギュラー出演する。その後はプロデューサーとしても活躍。アルバムは『EASY LIVING』など多数。【2018年12月23日逝去】
西村 協 Kyo Nishimura ヴォーカリスト
1948年(昭和23年)2月22日滋賀県大津市生まれ。明治学院大学法学部在学中にフォーク系コーラス・グループ「グリーメン(吟遊詩人)」を結成、北山修作詞、加藤和彦作曲「恋したら」でデビュー。以後レコード歌手として活躍する一方で日本を代表するエレキバンド「寺内タケシとブルージーンズ」にヴォーカリストとして参加。ロシア公演など海外公演も多数経験する。本格派アダルト・ポップス・シンガーとして、根強いファン層に支持されている。1999年には初のスタンダード・ジャズ・アルバム『I'm In The Mood For Love』を発表、ジャズ界のみならず各方面で絶賛を博す。以降都内や横浜を中心に各地のジャズ・ライヴを展開中。2008年 第1回「澤村美司子賞」大賞、同年第24回「日本ジャズヴォーカル賞」大賞を受賞する。
1948年(昭和23年)2月22日滋賀県大津市生まれ。明治学院大学法学部在学中にフォーク系コーラス・グループ「グリーメン(吟遊詩人)」を結成、北山修作詞、加藤和彦作曲「恋したら」でデビュー。以後レコード歌手として活躍する一方で日本を代表するエレキバンド「寺内タケシとブルージーンズ」にヴォーカリストとして参加。ロシア公演など海外公演も多数経験する。本格派アダルト・ポップス・シンガーとして、根強いファン層に支持されている。1999年には初のスタンダード・ジャズ・アルバム『I'm In The Mood For Love』を発表、ジャズ界のみならず各方面で絶賛を博す。以降都内や横浜を中心に各地のジャズ・ライヴを展開中。2008年 第1回「澤村美司子賞」大賞、同年第24回「日本ジャズヴォーカル賞」大賞を受賞する。
原田忠幸 Tadayuki Harada サックス奏者
1936年(昭和11年)7月20日京都府生まれ。1952年レイモンド・コンデにクラリネットの手ほどきを受ける。1954年「原信夫とシャープス&フラッツ」に入団し2年後に退団。1956年「西条孝之介とウエストライナーズ」に参加。1966年に渡米し、ロサンゼルス、ラスベガスでスタジオ、ショーを中心に活動。帰国後の1971年に自己のバンド「ザ・ハーツ」を結成。そのほか、フランク・シナトラ、ヘレン・メリルの来日公演で伴奏を務めるなど多くの活動を行う。1980年「前田憲男とウィンドブレーカーズ」、1994年「猪俣猛オールスターズ」に加入。2002年CD『MIDNIGHT SUN』リリース。現在は日本ジャズ・バリトン・サックス奏者の最高峰として、ライヴ、レコーディングなど多忙な日々を送る。
1936年(昭和11年)7月20日京都府生まれ。1952年レイモンド・コンデにクラリネットの手ほどきを受ける。1954年「原信夫とシャープス&フラッツ」に入団し2年後に退団。1956年「西条孝之介とウエストライナーズ」に参加。1966年に渡米し、ロサンゼルス、ラスベガスでスタジオ、ショーを中心に活動。帰国後の1971年に自己のバンド「ザ・ハーツ」を結成。そのほか、フランク・シナトラ、ヘレン・メリルの来日公演で伴奏を務めるなど多くの活動を行う。1980年「前田憲男とウィンドブレーカーズ」、1994年「猪俣猛オールスターズ」に加入。2002年CD『MIDNIGHT SUN』リリース。現在は日本ジャズ・バリトン・サックス奏者の最高峰として、ライヴ、レコーディングなど多忙な日々を送る。
松坂妃呂子 Hiroko Matsuzaka 編集者、ジャズ批評誌社長
1932年(昭和7年)10月22日福島県生まれ。町にやってきた女流マジシャン松旭斎天勝一座の3人の黒人バンドの演奏に驚愕を覚える。この影響で戦後すぐに聴いたルイ・アームストロング、ビング・クロスビーなどの音楽に胸をときめかせた青春時代をおくり、1953年上京。休日ごとに浅草にでかけアメリカ映画やジャズ・バンドの演奏を楽しんだ。1965年33歳の時、銀座一丁目にジャズ喫茶「オレオ」を開店。ジャズが前衛化した時代で、詩人、文筆家などが集まり、店の片隅のテーブルを編集部として1967年に『ジャズ批評』を創刊する。2017年に同誌は創刊50周年、通巻200号を達成した。【2018年5月26日逝去】
1932年(昭和7年)10月22日福島県生まれ。町にやってきた女流マジシャン松旭斎天勝一座の3人の黒人バンドの演奏に驚愕を覚える。この影響で戦後すぐに聴いたルイ・アームストロング、ビング・クロスビーなどの音楽に胸をときめかせた青春時代をおくり、1953年上京。休日ごとに浅草にでかけアメリカ映画やジャズ・バンドの演奏を楽しんだ。1965年33歳の時、銀座一丁目にジャズ喫茶「オレオ」を開店。ジャズが前衛化した時代で、詩人、文筆家などが集まり、店の片隅のテーブルを編集部として1967年に『ジャズ批評』を創刊する。2017年に同誌は創刊50周年、通巻200号を達成した。【2018年5月26日逝去】
丸山繁雄 Shigeo Maruyama ヴォーカリスト
1951年(昭和26年)6月22日新潟県生まれ。芸術学博士。早稲田大学第一文学部在学中から都内ジャズ・クラブで活動を開始。2011年学位論文「アフリカン・アメリカン音楽の言語同化現象」で日本大学より芸術学博士号を取得。公演活動、テレビ出演、アルバム発表、連載・著書など多数。
1951年(昭和26年)6月22日新潟県生まれ。芸術学博士。早稲田大学第一文学部在学中から都内ジャズ・クラブで活動を開始。2011年学位論文「アフリカン・アメリカン音楽の言語同化現象」で日本大学より芸術学博士号を取得。公演活動、テレビ出演、アルバム発表、連載・著書など多数。