2019年度
ジャズ大賞
今田 勝 Masaru Imada ピアニスト
1932年(昭和7年)3月21日東京都生まれ。明治大学卒業後、全国各地や海外のコンサート、フェスティヴァル等で精力的な活動を続け、現在はピアノ・トリオを中心にスタンダード・ジャズやオリジナル曲で演奏活動に従事。『ステレオ・サウンド』録音グランプリ金賞、『スイングジャーナル』ディスク大賞2位を含む40枚に及ぶリーダー・アルバムを発表、スイス・モントルー・ジャズフェスティヴァル、ドイツ・デュッセルドルフ・ジャズ・フェスティヴァルなど出演多数。
1932年(昭和7年)3月21日東京都生まれ。明治大学卒業後、全国各地や海外のコンサート、フェスティヴァル等で精力的な活動を続け、現在はピアノ・トリオを中心にスタンダード・ジャズやオリジナル曲で演奏活動に従事。『ステレオ・サウンド』録音グランプリ金賞、『スイングジャーナル』ディスク大賞2位を含む40枚に及ぶリーダー・アルバムを発表、スイス・モントルー・ジャズフェスティヴァル、ドイツ・デュッセルドルフ・ジャズ・フェスティヴァルなど出演多数。
大野雄二 Yuji Ohno ピアニスト、作曲家
1941年(昭和16年)5月30日静岡県生まれ。慶應義塾大学在学中にライト・ミュージック・ソサエティに在籍。藤家虹二クインテットでジャズ・ピアニストとしての活動を開始。白木秀雄クインテットを経て大野雄二トリオを結成。解散後は作曲家として多数のCM音楽制作のほか、「犬神家の一族」「人間の証明」「ルパン三世」「小さな旅」など、映画やテレビで数々の名曲を発表。近年、再びプレイヤーとしての活動を再開し、全国のライヴハウスなどで精力的な活動を継続中。
1941年(昭和16年)5月30日静岡県生まれ。慶應義塾大学在学中にライト・ミュージック・ソサエティに在籍。藤家虹二クインテットでジャズ・ピアニストとしての活動を開始。白木秀雄クインテットを経て大野雄二トリオを結成。解散後は作曲家として多数のCM音楽制作のほか、「犬神家の一族」「人間の証明」「ルパン三世」「小さな旅」など、映画やテレビで数々の名曲を発表。近年、再びプレイヤーとしての活動を再開し、全国のライヴハウスなどで精力的な活動を継続中。
渋谷 毅 Takeshi Shibuya ピアニスト、作編曲家
1939年(昭和14年)11月3日東京都生まれ。東京藝術大学作曲科中退。1963年に「ジョージ川口とビッグ・フォー」に参加して一躍注目を浴びる。その後も沢田駿吾グループなどに参加。作編曲家としても活躍し、NHKの子ども番組「おかあさんといっしょ」などにも多数の作曲・編曲作品を提供している。また、歌伴奏者としても高い評価を得ており、これまで浅川マキ、酒井俊、沖山秀子らと共演している。1986年に結成した「渋谷毅オーケストラ」やソロ・ピアノなどで、ライヴ活動もさかんに行っている。
1939年(昭和14年)11月3日東京都生まれ。東京藝術大学作曲科中退。1963年に「ジョージ川口とビッグ・フォー」に参加して一躍注目を浴びる。その後も沢田駿吾グループなどに参加。作編曲家としても活躍し、NHKの子ども番組「おかあさんといっしょ」などにも多数の作曲・編曲作品を提供している。また、歌伴奏者としても高い評価を得ており、これまで浅川マキ、酒井俊、沖山秀子らと共演している。1986年に結成した「渋谷毅オーケストラ」やソロ・ピアノなどで、ライヴ活動もさかんに行っている。
菅野邦彦 Kunihiko Sugano ピアニスト
1936年(昭和11年)11月13日東京都生まれ。学習院大学在学中にプロ・デビュー。当時来日していたトニー・スコットに認められる。その後、松本英彦、鈴木勲、ジョージ大塚らトップ・プレイヤーと共演。1968年に発表したデビュー作『フィンガー・ポッピング』では、エレガントで華麗にスイングするピアノ・スタイルが大いなる注目を浴びた。1976年以降、ブラジルやニューヨークでも演奏活動を行った。現在もホールやライヴハウスで活躍中。
1936年(昭和11年)11月13日東京都生まれ。学習院大学在学中にプロ・デビュー。当時来日していたトニー・スコットに認められる。その後、松本英彦、鈴木勲、ジョージ大塚らトップ・プレイヤーと共演。1968年に発表したデビュー作『フィンガー・ポッピング』では、エレガントで華麗にスイングするピアノ・スタイルが大いなる注目を浴びた。1976年以降、ブラジルやニューヨークでも演奏活動を行った。現在もホールやライヴハウスで活躍中。
タモリ Tamori タレント
1945年(昭和20年)8月22日福岡県生まれ。八面六臂の活躍の誰知らぬもののいないトップ・タレント。早稲田大学在学中は、名門「モダン・ジャズ研究会」に所属。トランペットを担当。「マイルスのトランペットは泣いているが、お前のトランペットは笑っている」と言われ楽器演奏を諦めた、という楽しい逸話が残っている。ジャズに関する深く幅広い見識は他の追随を許さない。
1945年(昭和20年)8月22日福岡県生まれ。八面六臂の活躍の誰知らぬもののいないトップ・タレント。早稲田大学在学中は、名門「モダン・ジャズ研究会」に所属。トランペットを担当。「マイルスのトランペットは泣いているが、お前のトランペットは笑っている」と言われ楽器演奏を諦めた、という楽しい逸話が残っている。ジャズに関する深く幅広い見識は他の追随を許さない。
鍋島直昶 Naoteru Nabeshima ヴァイブラフォン奏者
1926年(大正15年)5月14日東京都出身。鍋島藩第10代藩主鍋島直正の曾孫で、日本ジャズ界の草分けの一人。音楽家の両親の影響で4歳からヴァイオリンを始め、慶應大学在学中からジャズを志す。1950年代に結成した鍋島クインテットは、「日本のジョージ・シアリング・クインテット」と評され、話題を集めた。晩年は「ゴールデン・シニア・トリオ」を結成し、ギネスブックより「世界最高齢バンド」として認定された。【2021年1月6日逝去】
1926年(大正15年)5月14日東京都出身。鍋島藩第10代藩主鍋島直正の曾孫で、日本ジャズ界の草分けの一人。音楽家の両親の影響で4歳からヴァイオリンを始め、慶應大学在学中からジャズを志す。1950年代に結成した鍋島クインテットは、「日本のジョージ・シアリング・クインテット」と評され、話題を集めた。晩年は「ゴールデン・シニア・トリオ」を結成し、ギネスブックより「世界最高齢バンド」として認定された。【2021年1月6日逝去】
原田イサム Isamu Harada ドラム奏者、日本楽友会会長
1931年(昭和6年)9月28日横浜市生まれ。ドラマーのジミー原田(1911年12月10日〜1995年5月12日)の長男。1947年、京都の米軍キャンプで演奏するバンドでプロ入り。1950年に上京して紙恭輔率いるアーニー・パイル・オーケストラ(アーニー・パイル交響楽団)に参加。翌年「多忠修とゲイスターズ」に抜擢される。1953年には「鈴木章治とリズムエース」に移籍し、1958年に録音した「鈴懸の径」がジャズとして空前の大ヒットを記録。1961年「原田イサムとソフト・スティックス」結成。その後はスタジオ・ミュージシャンとして活躍し、1960年代後半以降は秋満義孝クインテット、宮間利之ニューハード、世良譲トリオ、ザ・ハーツなどに参加。現在も最長老ドラマーとして現役活動中。【2023年10月10日逝去】
1931年(昭和6年)9月28日横浜市生まれ。ドラマーのジミー原田(1911年12月10日〜1995年5月12日)の長男。1947年、京都の米軍キャンプで演奏するバンドでプロ入り。1950年に上京して紙恭輔率いるアーニー・パイル・オーケストラ(アーニー・パイル交響楽団)に参加。翌年「多忠修とゲイスターズ」に抜擢される。1953年には「鈴木章治とリズムエース」に移籍し、1958年に録音した「鈴懸の径」がジャズとして空前の大ヒットを記録。1961年「原田イサムとソフト・スティックス」結成。その後はスタジオ・ミュージシャンとして活躍し、1960年代後半以降は秋満義孝クインテット、宮間利之ニューハード、世良譲トリオ、ザ・ハーツなどに参加。現在も最長老ドラマーとして現役活動中。【2023年10月10日逝去】
2019年度
会長賞
佐藤秀樹 Hideki Sato 評論家
1933年(昭和8年)東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。ダイヤモンド社に勤務するかたわら、『スイングジャーナル』『STEREO』誌などでジャズの評論活動を始める。レコード・コレクターとしても知られ、その類まれなる知識で多くのジャズ・レコードの解説原稿を執筆。丁寧でジャズ愛に溢れる語り口にファンも多かった。映画好きとしても知られた。著書に『ジャズ・ピアノ決定盤』がある。【2021年8月25日逝去】
1933年(昭和8年)東京都生まれ。早稲田大学商学部卒業。ダイヤモンド社に勤務するかたわら、『スイングジャーナル』『STEREO』誌などでジャズの評論活動を始める。レコード・コレクターとしても知られ、その類まれなる知識で多くのジャズ・レコードの解説原稿を執筆。丁寧でジャズ愛に溢れる語り口にファンも多かった。映画好きとしても知られた。著書に『ジャズ・ピアノ決定盤』がある。【2021年8月25日逝去】
菅原正二 Shoji Sugawara 執筆家、ジャズ喫茶オーナー
1942年(昭和17年)岩手県生まれ。早稲田大学在学中にビッグ・バンドの名門サークル、ハイソサエティ・オーケストラでドラム奏者として活動。1970年に故郷の一関でジャズ喫茶「ベイシー」を開店。ジャズ・オーディオに独自のスタイルを確立し、カウント・ベイシー本人や世界中のジャズメンも集う全国で最も有名なジャズ喫茶となった。「スウィフティー」というニックネームはカウント・ベイシーから命名されたもの。映画『ジャズ喫茶ベイシーSwiftyの譚詩(Ballad)』も話題を呼んだ。
1942年(昭和17年)岩手県生まれ。早稲田大学在学中にビッグ・バンドの名門サークル、ハイソサエティ・オーケストラでドラム奏者として活動。1970年に故郷の一関でジャズ喫茶「ベイシー」を開店。ジャズ・オーディオに独自のスタイルを確立し、カウント・ベイシー本人や世界中のジャズメンも集う全国で最も有名なジャズ喫茶となった。「スウィフティー」というニックネームはカウント・ベイシーから命名されたもの。映画『ジャズ喫茶ベイシーSwiftyの譚詩(Ballad)』も話題を呼んだ。
中川喜弘 Yoshihiro Nakagawa トランペット奏者
1942年(昭和17年)5月4日大分県生まれ。1958年にプロとしての活動を始め、1960年に小野満、1963年に高橋達也のバンドに参加し注目を浴びる。その後、「薗田憲一とデキシーキングス」への参加を経て、「中川喜弘とディキシーディックス」を率いる。ベテラン・ディキシーランド・ジャズメンの代表格として現在も各地で演奏活動を続けている。
1942年(昭和17年)5月4日大分県生まれ。1958年にプロとしての活動を始め、1960年に小野満、1963年に高橋達也のバンドに参加し注目を浴びる。その後、「薗田憲一とデキシーキングス」への参加を経て、「中川喜弘とディキシーディックス」を率いる。ベテラン・ディキシーランド・ジャズメンの代表格として現在も各地で演奏活動を続けている。
中平穂積 Hozumi Nakadaira 写真家、ジャズ喫茶オーナー
1936年(昭和11年)8月3日和歌山県生まれ。日本大学芸術学部写真科在学中からジャズに関心を寄せる。1961年にはアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの初来日時の写真を撮るとともに、新宿二幸裏にジャズ喫茶「DIG」を開店させる。1967年に姉妹店「DUG」、1976年には「ニューDUG」をオープン。以来、写真家とジャズ喫茶オーナーというふたつの顔を持ち、内外に幅広い人脈を持つ。現在も写真展を全国で開催し、ご子息とともに「DUG」を経営している。
1936年(昭和11年)8月3日和歌山県生まれ。日本大学芸術学部写真科在学中からジャズに関心を寄せる。1961年にはアート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズの初来日時の写真を撮るとともに、新宿二幸裏にジャズ喫茶「DIG」を開店させる。1967年に姉妹店「DUG」、1976年には「ニューDUG」をオープン。以来、写真家とジャズ喫茶オーナーというふたつの顔を持ち、内外に幅広い人脈を持つ。現在も写真展を全国で開催し、ご子息とともに「DUG」を経営している。
※2019年度は、奨励賞、功労賞の授賞はありません。