2020年度
ジャズ大賞
荒川康男 Yasuo Arakawa ベース奏者
1939年(昭和14年)6月12日兵庫県生まれ。戦後まもなく関西で演奏活動を始め、高校卒業と同時に東京へ。進駐軍のクラブやジャズ喫茶などで腕を磨き、「ジョージ川口とビッグ・フォー」に加入する。その後も「沢田駿吾とダブル・ビーツ」「西条孝之介とウエストライナーズ」などに籍を置きながら、ジャズ以外のさまざまな演奏も経験。坂本九とのレコーディングや、映画『椿三十郎』『男はつらいよ』など、サウンドトラックの演奏も行う。モダン・ジャズのメソッドが日本に伝わらない頃、レコードを聴いて研究した。前田憲男、猪俣猛と組んだ「We Three」は近年まで継続した名コンボ。
1939年(昭和14年)6月12日兵庫県生まれ。戦後まもなく関西で演奏活動を始め、高校卒業と同時に東京へ。進駐軍のクラブやジャズ喫茶などで腕を磨き、「ジョージ川口とビッグ・フォー」に加入する。その後も「沢田駿吾とダブル・ビーツ」「西条孝之介とウエストライナーズ」などに籍を置きながら、ジャズ以外のさまざまな演奏も経験。坂本九とのレコーディングや、映画『椿三十郎』『男はつらいよ』など、サウンドトラックの演奏も行う。モダン・ジャズのメソッドが日本に伝わらない頃、レコードを聴いて研究した。前田憲男、猪俣猛と組んだ「We Three」は近年まで継続した名コンボ。
池田芳夫 Yoshio Ikeda ベース奏者
1942年(昭和17年)1月1日大阪府生まれ。18歳の時より5年間大阪交響楽団の前野繁雄に師事。23歳で上京。ゲイリー・ピーコックに師事。大野雄二トリオ、佐藤允彦トリオ、渡辺貞夫カルテット、菊地雅章セクステット、日野皓正クインテット、藤川義明&イースタシア・オーケストラ、ジャズ・ファクトリー、宮沢昭カルテット等に参加。日野皓正グループでは、ベルリン・ジャズ・フェスティヴァル、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル(カーネギーホール)に出演。現在は自己のカルテット、ソロ・ベース、その他数多くのミュージシャンとのセッションで活動している。
1942年(昭和17年)1月1日大阪府生まれ。18歳の時より5年間大阪交響楽団の前野繁雄に師事。23歳で上京。ゲイリー・ピーコックに師事。大野雄二トリオ、佐藤允彦トリオ、渡辺貞夫カルテット、菊地雅章セクステット、日野皓正クインテット、藤川義明&イースタシア・オーケストラ、ジャズ・ファクトリー、宮沢昭カルテット等に参加。日野皓正グループでは、ベルリン・ジャズ・フェスティヴァル、ニューポート・ジャズ・フェスティヴァル(カーネギーホール)に出演。現在は自己のカルテット、ソロ・ベース、その他数多くのミュージシャンとのセッションで活動している。
稲葉国光 Kunimitsu Inaba ベース奏者
1934年(昭和9年)4月29日静岡県生まれ。1968年2月菊地雅章=日野皓正クインテットに参加。1970年退団後は、石川晶のフリーダム・ユニテイ、鈴木宏昌トリオ、山本剛トリオその他多くのコンボでライヴハウス、スタジオ、コンサートで活躍。1979年7月山本剛トリオでモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演。2011年リーダー・アルバム『BASSIN’(ベイスィン)』をリリース。
1934年(昭和9年)4月29日静岡県生まれ。1968年2月菊地雅章=日野皓正クインテットに参加。1970年退団後は、石川晶のフリーダム・ユニテイ、鈴木宏昌トリオ、山本剛トリオその他多くのコンボでライヴハウス、スタジオ、コンサートで活躍。1979年7月山本剛トリオでモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演。2011年リーダー・アルバム『BASSIN’(ベイスィン)』をリリース。
岸 のりこ Noriko Kishi ヴォーカリスト
1949年(昭和24年)7月6日東京都生まれ。ラテン音楽とジャズが流れる家庭で、ダンスや音楽に親しむ少女時代をおくる。美大卒業後、女優や舞台美術の活動の傍ら歌手活動を開始。1970年代半ばにラテン音楽と劇的に出会い、1989年には名門「東京キューバンボーイズ」の見砂直照最後の公演にも出演し、氏が生前最後に認めたラテン・シンガーとなる。1984年に初めてキューバに渡航、外国人ながら第一線での活躍をする。1993年にベネズエラのソニー・ミュージックと契約しアルバムを発売。パナマでは「のりこバス」が走るほどの人気を得た。2000年に帰国。2013年に満を持して『恋の12の料理法』を発表。都内各所での定期的なライヴの他、後進の指導にも力を注いでいる。
1949年(昭和24年)7月6日東京都生まれ。ラテン音楽とジャズが流れる家庭で、ダンスや音楽に親しむ少女時代をおくる。美大卒業後、女優や舞台美術の活動の傍ら歌手活動を開始。1970年代半ばにラテン音楽と劇的に出会い、1989年には名門「東京キューバンボーイズ」の見砂直照最後の公演にも出演し、氏が生前最後に認めたラテン・シンガーとなる。1984年に初めてキューバに渡航、外国人ながら第一線での活躍をする。1993年にベネズエラのソニー・ミュージックと契約しアルバムを発売。パナマでは「のりこバス」が走るほどの人気を得た。2000年に帰国。2013年に満を持して『恋の12の料理法』を発表。都内各所での定期的なライヴの他、後進の指導にも力を注いでいる。
テディ金城 Teddy Kinjo ピアニスト、作曲家
沖縄県出身。日本ジャズ界を代表するピアノ・スタイリストとして高い評価を得、これまでに北村英治、稲葉国光、水橋孝、ジミー・スミス、ジーン・ジャクソン、 その他、数々の日本のトップ・プレイヤーや国際的アーティストを率いて1989年より全国縦断ジャズ・コンサート・ツアーを行い、各地で好評を博している。ヴォーカルでは中本マリ、金子晴美、チャリート、フライン・キャブ、マリア・エヴァらがツアーに参加。また、シャンソンの金子由香利やラテン等の伴奏も務める。オリジナリティ溢れるピアノ・サウンドは近作『South Wind to East & North Wind』で聴くことができる。現在、鹿児島市内で1973年創立のテディ金城音楽事務所と1983年創立のジャズ・ミュージック・スクールを主宰。琉球昭林流空手道連盟、全沖縄古武道連盟沖縄錬心会総本部会長。
沖縄県出身。日本ジャズ界を代表するピアノ・スタイリストとして高い評価を得、これまでに北村英治、稲葉国光、水橋孝、ジミー・スミス、ジーン・ジャクソン、 その他、数々の日本のトップ・プレイヤーや国際的アーティストを率いて1989年より全国縦断ジャズ・コンサート・ツアーを行い、各地で好評を博している。ヴォーカルでは中本マリ、金子晴美、チャリート、フライン・キャブ、マリア・エヴァらがツアーに参加。また、シャンソンの金子由香利やラテン等の伴奏も務める。オリジナリティ溢れるピアノ・サウンドは近作『South Wind to East & North Wind』で聴くことができる。現在、鹿児島市内で1973年創立のテディ金城音楽事務所と1983年創立のジャズ・ミュージック・スクールを主宰。琉球昭林流空手道連盟、全沖縄古武道連盟沖縄錬心会総本部会長。
水橋 孝 Takashi Mizuhashi ベース奏者
1943年(昭和18年)3月2日北海道生まれ。独自のテクニックと楽才に恵まれ、日本はもとより、アメリカ、ヨーロッパのミュージシャンの間でも評判が高い。通称はGONさん。ハービー・ハンコックは水橋を「日本人の最もソウルフルな男」と称した。国内における活動としては、渡辺貞夫、日野晧正をはじめ一流といわれる総てのミュージシャンとの共演経験がある。現在は自己のトリオ、カルテットでコンサート活動中。年に1度の「クリスマス・チャリティー・ライヴ」を行い、収益金は(財)日本ユニセフへ委ねている。長年にわたりジャパン・ベース・プレイヤーズ・クラブの会長を務めた。
1943年(昭和18年)3月2日北海道生まれ。独自のテクニックと楽才に恵まれ、日本はもとより、アメリカ、ヨーロッパのミュージシャンの間でも評判が高い。通称はGONさん。ハービー・ハンコックは水橋を「日本人の最もソウルフルな男」と称した。国内における活動としては、渡辺貞夫、日野晧正をはじめ一流といわれる総てのミュージシャンとの共演経験がある。現在は自己のトリオ、カルテットでコンサート活動中。年に1度の「クリスマス・チャリティー・ライヴ」を行い、収益金は(財)日本ユニセフへ委ねている。長年にわたりジャパン・ベース・プレイヤーズ・クラブの会長を務めた。
村岡 建 Takeru Muraoka サックス奏者
1944年(昭和19年)2月6日東京都生まれ。中学時代にクラリネットを吹き始め、17歳頃にはサックスも吹き始める。1963年にジャズ・クラブで演奏を始め、1969年に菊地雅章のバンドに参加し、1973年の解散まで在籍する。その後、ニューヨークに渡り2年間滞在し、1975年帰国。1978年には本田竹曠らとネイティブ・サンを結成しコンサート、アルバム制作(計8枚)など精力的な活動でジャズ・フュージョングループとして人気を博す。その後、板橋文夫、井野信義、村上寛と結成したフォー・サウンズや、富樫雅彦&J.J.スピリッツなどを経て、1992年自身のクインテットを結成し活動を続けている。また、渋谷毅オーケストラをはじめ数多くのセッションに参加している。
1944年(昭和19年)2月6日東京都生まれ。中学時代にクラリネットを吹き始め、17歳頃にはサックスも吹き始める。1963年にジャズ・クラブで演奏を始め、1969年に菊地雅章のバンドに参加し、1973年の解散まで在籍する。その後、ニューヨークに渡り2年間滞在し、1975年帰国。1978年には本田竹曠らとネイティブ・サンを結成しコンサート、アルバム制作(計8枚)など精力的な活動でジャズ・フュージョングループとして人気を博す。その後、板橋文夫、井野信義、村上寛と結成したフォー・サウンズや、富樫雅彦&J.J.スピリッツなどを経て、1992年自身のクインテットを結成し活動を続けている。また、渋谷毅オーケストラをはじめ数多くのセッションに参加している。
2020年度
会長賞
岩味 潔 Kiyoshi Iwami プロデューサー、エンジニア
1935年(昭和10年)1月31日生まれ。幼少より録音技術に関心を寄せ、学生時代に手掛けた『幻のモカンボ・セッション』は日本におけるモダン・ジャズ黎明期の貴重極まりない記録として語り継がれている。日本テレビ放送網株式会社入社後に手掛けたテレビ番組の録音も、海外で大きな評価を得た。油井正一と作った「ロックウェル・レコード」には、日本ジャズ史の貴重な記録が数多く残されている。現在は毎月開催されるホットクラブ・オブ・ジャパンで幹事長を務めている。
1935年(昭和10年)1月31日生まれ。幼少より録音技術に関心を寄せ、学生時代に手掛けた『幻のモカンボ・セッション』は日本におけるモダン・ジャズ黎明期の貴重極まりない記録として語り継がれている。日本テレビ放送網株式会社入社後に手掛けたテレビ番組の録音も、海外で大きな評価を得た。油井正一と作った「ロックウェル・レコード」には、日本ジャズ史の貴重な記録が数多く残されている。現在は毎月開催されるホットクラブ・オブ・ジャパンで幹事長を務めている。
岡村 融 Toru Okamura レコード・プロデューサー
1934年(昭和9年)8月1日東京都生まれ。坂本九、鈴木章治などのマネージャーを務めた後、1964年にポリドール株式会社に入社。企画立案した『幻のモカンボ・セッション』のレコード化、ビリー・ホリデイのヴァーヴ音源編集盤のグラミー賞ノミネート等々、レコード・プロデューサーとして30年以上に渡り日本のジャズ界の牽引役として活躍した。レコード・コレクターでもあり、その豊富なジャズの知識を存分に活かし、今も執筆活動に余念がない。ホットクラブ・オブ・ジャパン会長。
1934年(昭和9年)8月1日東京都生まれ。坂本九、鈴木章治などのマネージャーを務めた後、1964年にポリドール株式会社に入社。企画立案した『幻のモカンボ・セッション』のレコード化、ビリー・ホリデイのヴァーヴ音源編集盤のグラミー賞ノミネート等々、レコード・プロデューサーとして30年以上に渡り日本のジャズ界の牽引役として活躍した。レコード・コレクターでもあり、その豊富なジャズの知識を存分に活かし、今も執筆活動に余念がない。ホットクラブ・オブ・ジャパン会長。
寺島靖国 Yasukuni Terashima ジャズ評論家、レーベル主宰
1938年(昭和13年)2月11日東京都生まれ。早稲田大学文学部独文科を卒業。会社勤務を経て、1970年、東京・吉祥寺にジャズ喫茶「メグ」を開店(2018年寺島がオーナー兼マスターを務めたメグは営業を終了)。雑誌にジャズ、オーディオに関する評論、エッセイを発表。なにものにも属さない評論にはファンが多い。2007年寺島靖国プロデュースによる、「寺島レコード」を発足。現在に至るまで多数のアルバムをリリース。著書は『JAZZ ピアノ・トリオ名盤500』『JAZZ オーディオ悶絶桃源郷』『辛口! JAZZ ノート』『テラシマ円盤堂』『JAZZ遺言状』など多数。
1938年(昭和13年)2月11日東京都生まれ。早稲田大学文学部独文科を卒業。会社勤務を経て、1970年、東京・吉祥寺にジャズ喫茶「メグ」を開店(2018年寺島がオーナー兼マスターを務めたメグは営業を終了)。雑誌にジャズ、オーディオに関する評論、エッセイを発表。なにものにも属さない評論にはファンが多い。2007年寺島靖国プロデュースによる、「寺島レコード」を発足。現在に至るまで多数のアルバムをリリース。著書は『JAZZ ピアノ・トリオ名盤500』『JAZZ オーディオ悶絶桃源郷』『辛口! JAZZ ノート』『テラシマ円盤堂』『JAZZ遺言状』など多数。
悠 雅彦 Masahiko Yuh 評論家
1937年(昭和12年)11月1日神奈川県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。早大ハイソサエティ・オーケストラのヴォーカリストから北村英治グループなどの専属を経て、1969年ジャズ評論家として独立。日本を代表するジャズ評論家のひとりとして第一線で活躍。1975年評論活動の一環として自らWhyNotレーベルを設立、多くの有能なアフリカン・アメリカン系ミュージシャンを広く世に紹介した。2004年より月刊ウェブ・マガジン『JazzTokyo』の編集主幹としてジャズ・ジャーナリズムをリードし続けている。著書に『ジャズ 進化・解体・再生の歴史』(1998年)、共著に『ジャズCDの名盤』(2000年)などがある。【2023年10月14日逝去】
1937年(昭和12年)11月1日神奈川県生まれ。早稲田大学文学部英文科卒。早大ハイソサエティ・オーケストラのヴォーカリストから北村英治グループなどの専属を経て、1969年ジャズ評論家として独立。日本を代表するジャズ評論家のひとりとして第一線で活躍。1975年評論活動の一環として自らWhyNotレーベルを設立、多くの有能なアフリカン・アメリカン系ミュージシャンを広く世に紹介した。2004年より月刊ウェブ・マガジン『JazzTokyo』の編集主幹としてジャズ・ジャーナリズムをリードし続けている。著書に『ジャズ 進化・解体・再生の歴史』(1998年)、共著に『ジャズCDの名盤』(2000年)などがある。【2023年10月14日逝去】
2020年度
奨励賞
挾間美帆 Miho Hazama 作編曲家、指揮者、ピアニスト
1986年(昭和61年)11月13日生まれ。国立音楽大学およびマンハッタン音楽院大学院卒業。これまでに山下洋輔、東京フィルハーモニー交響楽団、ヤマハ吹奏楽団、NHKドラマ「ランチのアッコちゃん」などに作曲作品を提供。NHK交響楽団、テレビ朝日「題名のない音楽会」などへ多岐にわたり編曲作品を提供する。New York Jazzharmonic (アメリカ)、Metropole Orkest (オランダ)、Danish Radio Big Band (デンマーク)、WDR Big Band(ドイツ)などからの招聘を受け、作編曲家としてだけでなくディレクターとしても国内外を問わず幅広く活動している。2016年には米『ダウンビート』誌の「未来を担う25人のジャズアーティスト」にアジア人でただ一人選出され、2019年『ニューズウィーク』日本版「世界が尊敬する日本人100」に選ばれるなど高い評価を得る。
1986年(昭和61年)11月13日生まれ。国立音楽大学およびマンハッタン音楽院大学院卒業。これまでに山下洋輔、東京フィルハーモニー交響楽団、ヤマハ吹奏楽団、NHKドラマ「ランチのアッコちゃん」などに作曲作品を提供。NHK交響楽団、テレビ朝日「題名のない音楽会」などへ多岐にわたり編曲作品を提供する。New York Jazzharmonic (アメリカ)、Metropole Orkest (オランダ)、Danish Radio Big Band (デンマーク)、WDR Big Band(ドイツ)などからの招聘を受け、作編曲家としてだけでなくディレクターとしても国内外を問わず幅広く活動している。2016年には米『ダウンビート』誌の「未来を担う25人のジャズアーティスト」にアジア人でただ一人選出され、2019年『ニューズウィーク』日本版「世界が尊敬する日本人100」に選ばれるなど高い評価を得る。
2020年度
功労賞
大橋美加 Mika Ohashi ヴォーカリスト
1959年(昭和34年)8月29日東京都生まれ。短大在学中にプロ・デビュー。1986年日本ジャズ・ヴォーカル賞新人賞を受賞。以降、レイ・ブライアント他ビッグ・ネームと共演。シネマ・エッセイストとしても3冊の著作を発表。1996年よりNHK-FMジャズ番組の構成・選曲・DJを足かけ10年間担当。2005年より衛星デジタルラジオ『美加のNice ‘N’ Easy Time』が放送中。2014年12枚目のリーダー・アルバム『With Love to Nat』を発売。2016年83歳の母親・マーサ三宅を初めてゲストに迎え家族への思いを込めたハートウォーミングなアルバム『HOME』を発表。2017年自身初の自叙伝『父・巨泉』を上梓。2018年第34回日本ジャズヴォーカル賞大賞受賞。
1959年(昭和34年)8月29日東京都生まれ。短大在学中にプロ・デビュー。1986年日本ジャズ・ヴォーカル賞新人賞を受賞。以降、レイ・ブライアント他ビッグ・ネームと共演。シネマ・エッセイストとしても3冊の著作を発表。1996年よりNHK-FMジャズ番組の構成・選曲・DJを足かけ10年間担当。2005年より衛星デジタルラジオ『美加のNice ‘N’ Easy Time』が放送中。2014年12枚目のリーダー・アルバム『With Love to Nat』を発売。2016年83歳の母親・マーサ三宅を初めてゲストに迎え家族への思いを込めたハートウォーミングなアルバム『HOME』を発表。2017年自身初の自叙伝『父・巨泉』を上梓。2018年第34回日本ジャズヴォーカル賞大賞受賞。
髙山惠子 Keiko Takayama 元『ジャズワールド』副編集長、ヴォーカリスト
栃木県宇都宮市生まれ。幼少の頃より合唱団、オペレッタなどの舞台で活躍。早稲田大学卒業後、ジャズ・ヴォーカリストとして2000年「日中友好ジャズ・フェスティヴァル」において中国・上海でプロ・デビュー。近年はラテン・タンゴにも情熱を注ぎ、2009年3月自己のグループ「髙山惠子と楽団南十字星」を旗揚げする。南十字星圏内のポピュラー・ソングをラテン・タッチで歌い、多彩な言語を駆使したステージを展開、ジャンルを超えたスケールの大きさ、エンターテイメント性溢れ情感豊かで人の心に届く本格的な歌唱を絶賛される。1979創刊、2020年2月休刊の『ジャズワールド』の副編集長を務めた。「日本ジャズヴォーカル賞」の選考委員を1998年より21年歴任。2017年ラジオ日本「MJMミュージックアワー」でパーソナリティを務めた。現在、中央学院大学非常勤講師(英語)でもある。
栃木県宇都宮市生まれ。幼少の頃より合唱団、オペレッタなどの舞台で活躍。早稲田大学卒業後、ジャズ・ヴォーカリストとして2000年「日中友好ジャズ・フェスティヴァル」において中国・上海でプロ・デビュー。近年はラテン・タンゴにも情熱を注ぎ、2009年3月自己のグループ「髙山惠子と楽団南十字星」を旗揚げする。南十字星圏内のポピュラー・ソングをラテン・タッチで歌い、多彩な言語を駆使したステージを展開、ジャンルを超えたスケールの大きさ、エンターテイメント性溢れ情感豊かで人の心に届く本格的な歌唱を絶賛される。1979創刊、2020年2月休刊の『ジャズワールド』の副編集長を務めた。「日本ジャズヴォーカル賞」の選考委員を1998年より21年歴任。2017年ラジオ日本「MJMミュージックアワー」でパーソナリティを務めた。現在、中央学院大学非常勤講師(英語)でもある。