2021年度
ジャズ大賞
市川秀男 Hideo Ichikawa ピアニスト
1945年(昭和20年)2月22日静岡県生まれ。小学校時代よりピアノを始め、中学3年の時に上京し、国立音楽大学付属高校に入学し作曲などを学ぶ。その後プロのミュージシャンとして活動を開始する。1966年『ナウズ・ザ・タイム』でレコーディング・デビュー。同年12月、ジョージ大塚トリオに参加。1970年4月都市センターホールでジャック・ディジョネットと競演、同年6月には初のリーダー・アルバム『ホリデー』を録音、同年10月日野皓正グループに参加。1972年ジョージ大塚トリオを脱退。中川幸男、小津昌彦とともに自己のトリオを結成する。1976年「ジョージ川口とビッグ・フォー」に参加。1980年富樫雅彦、鈴木勲とともに「トリニティ」を結成。同グループは『ワンダー・ランド』『微笑み(スマイル)』のアルバム2枚をリリース。1999年ネットワーク配信のための新作を録音。現在でも音楽分野で新しいものに挑戦しつづけている。
1945年(昭和20年)2月22日静岡県生まれ。小学校時代よりピアノを始め、中学3年の時に上京し、国立音楽大学付属高校に入学し作曲などを学ぶ。その後プロのミュージシャンとして活動を開始する。1966年『ナウズ・ザ・タイム』でレコーディング・デビュー。同年12月、ジョージ大塚トリオに参加。1970年4月都市センターホールでジャック・ディジョネットと競演、同年6月には初のリーダー・アルバム『ホリデー』を録音、同年10月日野皓正グループに参加。1972年ジョージ大塚トリオを脱退。中川幸男、小津昌彦とともに自己のトリオを結成する。1976年「ジョージ川口とビッグ・フォー」に参加。1980年富樫雅彦、鈴木勲とともに「トリニティ」を結成。同グループは『ワンダー・ランド』『微笑み(スマイル)』のアルバム2枚をリリース。1999年ネットワーク配信のための新作を録音。現在でも音楽分野で新しいものに挑戦しつづけている。
稲垣次郎 Jiro Inagaki サックス、フルート奏者
1933年(昭和8年)10月3日東京都生まれ。高校時代からプロとして活躍し「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」「ジョージ川口とビッグ・フォー」を経て、1962年自身のグループ、稲垣次郎クインテットを結成。翌年にはライオネル・ハンプトン・オーケストラの日本公演、日野皓正とともに白木秀雄クインテットに参加。1969年、日本のジャズ・ロックの草分け的グループ「稲垣次郎とソウル・メディア」を結成。セッション・プレイヤーとしてスティーヴィー・ワンダー、スタイリスティックス、フランク・シナトラ等の日本公演に参加。プロデューサー、音楽監督として西城秀樹、ピンクレディー、麻実れい等を手掛けるほか、大滝詠一のNIAGARA作品に参加するなど幅広く活躍。1980年「前田憲男とウィンドブレイカーズ」に参加。現在もプレイヤー、プロデューサーとして活動中。
1933年(昭和8年)10月3日東京都生まれ。高校時代からプロとして活躍し「フランキー堺とシティ・スリッカーズ」「ジョージ川口とビッグ・フォー」を経て、1962年自身のグループ、稲垣次郎クインテットを結成。翌年にはライオネル・ハンプトン・オーケストラの日本公演、日野皓正とともに白木秀雄クインテットに参加。1969年、日本のジャズ・ロックの草分け的グループ「稲垣次郎とソウル・メディア」を結成。セッション・プレイヤーとしてスティーヴィー・ワンダー、スタイリスティックス、フランク・シナトラ等の日本公演に参加。プロデューサー、音楽監督として西城秀樹、ピンクレディー、麻実れい等を手掛けるほか、大滝詠一のNIAGARA作品に参加するなど幅広く活躍。1980年「前田憲男とウィンドブレイカーズ」に参加。現在もプレイヤー、プロデューサーとして活動中。
今村祐司 Yuji Imamura パーカッション奏者
1939年(昭和14年)3月30日東京都生まれ。高校2年の夏休みに「村越一夫とマンボキング」のバンドボーイになる。その後、ラテン・ピアニストの第一人者となる松岡直也バンドに10年間所属。アメリカから帰国後の渡辺貞夫とレコーディングやコンサート、FM放送の「マイ・ディア・ライフ」などに出演する。その後、日野皓正グループの一員として、レコーディングやモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演。日野皓正渡米後は日野元彦グループに参加する。志村康夫、井野信義が参加した自己のグループで『エアー』をレコーディング。その後、今田勝カルテット、本田竹曠、後藤輝夫とのデュオなど様々なユニットで演奏をする。現在は松風紘一、渋谷毅、上村勝正、外山明とピットインで活動中。
1939年(昭和14年)3月30日東京都生まれ。高校2年の夏休みに「村越一夫とマンボキング」のバンドボーイになる。その後、ラテン・ピアニストの第一人者となる松岡直也バンドに10年間所属。アメリカから帰国後の渡辺貞夫とレコーディングやコンサート、FM放送の「マイ・ディア・ライフ」などに出演する。その後、日野皓正グループの一員として、レコーディングやモントルー・ジャズ・フェスティヴァルに出演。日野皓正渡米後は日野元彦グループに参加する。志村康夫、井野信義が参加した自己のグループで『エアー』をレコーディング。その後、今田勝カルテット、本田竹曠、後藤輝夫とのデュオなど様々なユニットで演奏をする。現在は松風紘一、渋谷毅、上村勝正、外山明とピットインで活動中。
杉本喜代志 Kiyoshi Sugimoto ギター奏者
1942年(昭和17年)2月3日静岡県生まれ。小学校6年からギターを始める。上京後バンド活動を続け、1970年に日野皓正グループに参加。翌71年のベルリン・ジャズ・フェスティヴァルやニューポート・ジャズ・フェスティヴァルなど海外での同グループでの演奏が話題を呼ぶ。同年には初リーダー作品『カントリー・ドリーム』を発表。日野皓正グループを脱退後、1974年に渡米し、自己のグループを結成し活動を続ける。帰国後も自己のジャズ・セッションを中心に、浅川マキやオルガンの寒川敏彦とのコラボレーション作品等を多く残す。1981年にマーカス・ミラー、オマー・ハキムらと残した作品『ワン・モア』も高い評価を得た。2020年2月には60年のキャリアで初となる「Birthday Live」を開催して、変わらぬ健在ぶりを示している。
1942年(昭和17年)2月3日静岡県生まれ。小学校6年からギターを始める。上京後バンド活動を続け、1970年に日野皓正グループに参加。翌71年のベルリン・ジャズ・フェスティヴァルやニューポート・ジャズ・フェスティヴァルなど海外での同グループでの演奏が話題を呼ぶ。同年には初リーダー作品『カントリー・ドリーム』を発表。日野皓正グループを脱退後、1974年に渡米し、自己のグループを結成し活動を続ける。帰国後も自己のジャズ・セッションを中心に、浅川マキやオルガンの寒川敏彦とのコラボレーション作品等を多く残す。1981年にマーカス・ミラー、オマー・ハキムらと残した作品『ワン・モア』も高い評価を得た。2020年2月には60年のキャリアで初となる「Birthday Live」を開催して、変わらぬ健在ぶりを示している。
豊住芳三郎 Yoshisaburo Toyozumi ドラム奏者
1943年(昭和18年)7月11日神奈川県生まれ。富樫雅彦に師事。「ミッキーカーチス&サムライ」で欧州ツアー。渋谷毅トリオ、「高柳昌行とニューディレクション」「宮間利之とニューハード」、Sabu Unit、高木元輝とのデュオ、阿部薫とのデュオなどで活動。 1971年シカゴの「AACM」初の外国籍メンバーとなる。アルバムはイタリアやリトアニアでも発売される。活動はおもに海外での公演が多い。
1943年(昭和18年)7月11日神奈川県生まれ。富樫雅彦に師事。「ミッキーカーチス&サムライ」で欧州ツアー。渋谷毅トリオ、「高柳昌行とニューディレクション」「宮間利之とニューハード」、Sabu Unit、高木元輝とのデュオ、阿部薫とのデュオなどで活動。 1971年シカゴの「AACM」初の外国籍メンバーとなる。アルバムはイタリアやリトアニアでも発売される。活動はおもに海外での公演が多い。
花岡詠二 Eiji Hanaoka クラリネット奏者
1944年(昭和19年)8月9日東京都生まれ。日本大学芸術学部音楽学科卒。クラリネットを大野恒一、大橋幸夫、北爪利世に師事。在学中より自己のコンボを率いる。ベニー・グッドマン・スタイルの「花岡詠二スヰング・オールスターズ」をメインに、その他コンボからオーケストラまで様々なスタイルのグループを編成し、多彩な芸達者ぶりを披露している。よくスイングする明るい演奏で、また古典落語にも造詣が深く話術も巧み、ユーモア溢れる人柄でファンも多い。海外では1996年よりオランダのブレダ市で開催されているブレダ・ジャズ・フェスティヴァルに毎年招聘されている。ベニー・グッドマンのサウンドを後世に伝えるべく、1987年より毎年「メモリーズ・オブ・ベニー・グッドマン」と題した定期コンサートを続けている。
1944年(昭和19年)8月9日東京都生まれ。日本大学芸術学部音楽学科卒。クラリネットを大野恒一、大橋幸夫、北爪利世に師事。在学中より自己のコンボを率いる。ベニー・グッドマン・スタイルの「花岡詠二スヰング・オールスターズ」をメインに、その他コンボからオーケストラまで様々なスタイルのグループを編成し、多彩な芸達者ぶりを披露している。よくスイングする明るい演奏で、また古典落語にも造詣が深く話術も巧み、ユーモア溢れる人柄でファンも多い。海外では1996年よりオランダのブレダ市で開催されているブレダ・ジャズ・フェスティヴァルに毎年招聘されている。ベニー・グッドマンのサウンドを後世に伝えるべく、1987年より毎年「メモリーズ・オブ・ベニー・グッドマン」と題した定期コンサートを続けている。
峰 厚介 Kosuke Mine サックス奏者
1944年(昭和19年)2月6日東京都生まれ。中学時代にクラリネットを吹き始め、17歳頃にはサックスも吹き始める。1963年にジャズ・クラブで演奏を始め、1969年に菊地雅章のバンドに参加し、1973年の解散まで在籍する。その後、ニューヨークに渡り2年間滞在し、1975年帰国。1978年には本田竹曠らとネイティブ・サンを結成しコンサート、アルバム制作(計8枚)など精力的な活動でジャズ・フュージョングループとして人気を博す。その後、板橋文夫、井野信義、村上寛と結成したフォー・サウンズや、富樫雅彦&J.J.スピリッツなどを経て、1992年自身のクインテットを結成し活動を続けている。また、渋谷毅オーケストラをはじめ数多くのセッションに参加している。
1944年(昭和19年)2月6日東京都生まれ。中学時代にクラリネットを吹き始め、17歳頃にはサックスも吹き始める。1963年にジャズ・クラブで演奏を始め、1969年に菊地雅章のバンドに参加し、1973年の解散まで在籍する。その後、ニューヨークに渡り2年間滞在し、1975年帰国。1978年には本田竹曠らとネイティブ・サンを結成しコンサート、アルバム制作(計8枚)など精力的な活動でジャズ・フュージョングループとして人気を博す。その後、板橋文夫、井野信義、村上寛と結成したフォー・サウンズや、富樫雅彦&J.J.スピリッツなどを経て、1992年自身のクインテットを結成し活動を続けている。また、渋谷毅オーケストラをはじめ数多くのセッションに参加している。
森山威男 Takeo Moriyama ドラム奏者
1945年(昭和20年)1月27日東京都生まれ。生後すぐに山梨県甲州市に移住。幼少期に聴いたジャズの生演奏に魅了され、ドラムに興味をもつ。甲府第一高等学校入学後、ブラスバンド部に入部し2年生からドラムを担当。東京藝術大学音楽学部器楽科に入学。在学時からジャズのセッションに参加し、山下洋輔と親交を持ち、1969年に結成された山下洋輔トリオに初代ドラム奏者として参加。特異なフリー・フォームを完成させ3度のヨーロッパツアーで激賞を受けたのちの1975年に山下洋輔トリオを退団。1977年より森山威男カルテットなど、自己のバンドでフォービート・ジャズに回帰、日本はもとよりドイツ、イタリアでも演奏。2001年からは現居住地である岐阜県の可児市文化創造センター 主劇場にて「MORIYAMA JAZZ NIGHT」を毎年開催し、地元の文化活動に貢献している。
1945年(昭和20年)1月27日東京都生まれ。生後すぐに山梨県甲州市に移住。幼少期に聴いたジャズの生演奏に魅了され、ドラムに興味をもつ。甲府第一高等学校入学後、ブラスバンド部に入部し2年生からドラムを担当。東京藝術大学音楽学部器楽科に入学。在学時からジャズのセッションに参加し、山下洋輔と親交を持ち、1969年に結成された山下洋輔トリオに初代ドラム奏者として参加。特異なフリー・フォームを完成させ3度のヨーロッパツアーで激賞を受けたのちの1975年に山下洋輔トリオを退団。1977年より森山威男カルテットなど、自己のバンドでフォービート・ジャズに回帰、日本はもとよりドイツ、イタリアでも演奏。2001年からは現居住地である岐阜県の可児市文化創造センター 主劇場にて「MORIYAMA JAZZ NIGHT」を毎年開催し、地元の文化活動に貢献している。
2021年度
会長賞
稲岡邦彌 Kuniya Inaoka プロデューサー 『JAZZ TOKYO』編集長
1943年(昭和18年)4月12日 兵庫県伊丹市生まれ。私立海城高校を経て、1967年早稲田大学第一政経学部経済学科卒業。ドイツ商社勤務を経て1971年トリオ株式会社(現JVCケンウッド株式会社)レコード事業部入社。洋楽部長、制作部長を歴任。1972年より10年間ECMレーベル・マネジャー。2004年、月刊ウェブ・マガジン『JazzTokyo』創刊、編集長に就任。2020年、キングインターナショナル社にNadja21レーベルを設立、ジャズ音源(アーカイヴ)の復刻を開始。著書に『改訂版ECMの真実』、共著に『ジャズCDの名盤』、編著に『増補改訂版 ECM catalog』『及川公生のサウンドレシピ』がある。
1943年(昭和18年)4月12日 兵庫県伊丹市生まれ。私立海城高校を経て、1967年早稲田大学第一政経学部経済学科卒業。ドイツ商社勤務を経て1971年トリオ株式会社(現JVCケンウッド株式会社)レコード事業部入社。洋楽部長、制作部長を歴任。1972年より10年間ECMレーベル・マネジャー。2004年、月刊ウェブ・マガジン『JazzTokyo』創刊、編集長に就任。2020年、キングインターナショナル社にNadja21レーベルを設立、ジャズ音源(アーカイヴ)の復刻を開始。著書に『改訂版ECMの真実』、共著に『ジャズCDの名盤』、編著に『増補改訂版 ECM catalog』『及川公生のサウンドレシピ』がある。
小西啓一 Keiichi Konishi ラジオ・プロデューサー ジャズ・ライター
1944年(昭和19年)8月15日東京都生まれ。高校生の頃からジャズに親しみ、早稲田大学ではジャズ研に所属し、鈴木良雄、タモリなどと交友。卒業後は日本短波放送(現ラジオ日経)に入局、ドラマやドキュメンタリー、スポーツ中継などあらゆる現場業務を経験。民放賞(ラジオ部門)なども数回受賞。またジャズ番組「テイスト・オブ・ジャズ」(57年続く長寿番組)制作を現在まで約50年間担当。ジャズ・ライターとしても『ジャズジャパン』誌などのレギュラー執筆やジャズ・ディスク大賞等の選考委員も務める。東京都中野区等の区民文化センターでジャズ講座の企画・実施など、ジャズ啓蒙・普及活動にも関わる。
1944年(昭和19年)8月15日東京都生まれ。高校生の頃からジャズに親しみ、早稲田大学ではジャズ研に所属し、鈴木良雄、タモリなどと交友。卒業後は日本短波放送(現ラジオ日経)に入局、ドラマやドキュメンタリー、スポーツ中継などあらゆる現場業務を経験。民放賞(ラジオ部門)なども数回受賞。またジャズ番組「テイスト・オブ・ジャズ」(57年続く長寿番組)制作を現在まで約50年間担当。ジャズ・ライターとしても『ジャズジャパン』誌などのレギュラー執筆やジャズ・ディスク大賞等の選考委員も務める。東京都中野区等の区民文化センターでジャズ講座の企画・実施など、ジャズ啓蒙・普及活動にも関わる。
2021年度
奨励賞
纐纈歩美 Ayumi Koketsu サックス奏者
1988年(昭和63年)岐阜県生まれ。トロンボーンを演奏する父親の影響で、幼少の頃からジャズ、ラテン、フュージョンに親しむ。3歳よりピアノを習い、中学でサックスへ転向。高校から本格的にジャズを始め、椿田薫に師事。その後甲陽音楽学院名古屋校にて学び、その頃から岐阜、名古屋を中心にライヴ活動を始める。2010年ファースト・アルバム『Struttin'』にてメジャー・デビュー。2012年ノルウェーで、2013年、2014年にはニューヨークでレコーディング。2018年小野リサをプロデューサーに迎えた初のボサノヴァ・アルバム『o pato』を発表。落ち着いた柔らかな音色と、時にダイナミックなアプローチで、多くのファンの支持を得ている。
1988年(昭和63年)岐阜県生まれ。トロンボーンを演奏する父親の影響で、幼少の頃からジャズ、ラテン、フュージョンに親しむ。3歳よりピアノを習い、中学でサックスへ転向。高校から本格的にジャズを始め、椿田薫に師事。その後甲陽音楽学院名古屋校にて学び、その頃から岐阜、名古屋を中心にライヴ活動を始める。2010年ファースト・アルバム『Struttin'』にてメジャー・デビュー。2012年ノルウェーで、2013年、2014年にはニューヨークでレコーディング。2018年小野リサをプロデューサーに迎えた初のボサノヴァ・アルバム『o pato』を発表。落ち着いた柔らかな音色と、時にダイナミックなアプローチで、多くのファンの支持を得ている。
2021年度
功労賞
ジョー蒲池 Joe Kamachi ピアニスト
1941年(昭和16年)12月14日東京都生まれ。東洋音楽学校在学中よりプロ活動を始める。その後ニューヨーク在住のピアニスト、レッド・リチャーズに10年間師事。「稲垣次郎とソウル・メディア」「原信夫とシャープス&フラッツ」等のバンドに所属し、ニューヨークのクール・ジャズ・フェスティヴァルなど海外公演に多数参加。また、サミー・デイヴィスJr.などの国内公演の伴奏を行う。独立後は、作編曲、演奏と多岐にわたって活躍。2002年オリジナル曲による初のリーダー・アルバム『Spread』を、40年来の親友でニューヨーク在住の中村照夫(b)のプロデュースにより発売。2006年スタンダード曲中心のセカンド・アルバム『Jazz Street』を発表。2007年4月より赤坂「ジャズピアノクラブJOE」のオーナー・ピアニストとなり、現在に至る。
1941年(昭和16年)12月14日東京都生まれ。東洋音楽学校在学中よりプロ活動を始める。その後ニューヨーク在住のピアニスト、レッド・リチャーズに10年間師事。「稲垣次郎とソウル・メディア」「原信夫とシャープス&フラッツ」等のバンドに所属し、ニューヨークのクール・ジャズ・フェスティヴァルなど海外公演に多数参加。また、サミー・デイヴィスJr.などの国内公演の伴奏を行う。独立後は、作編曲、演奏と多岐にわたって活躍。2002年オリジナル曲による初のリーダー・アルバム『Spread』を、40年来の親友でニューヨーク在住の中村照夫(b)のプロデュースにより発売。2006年スタンダード曲中心のセカンド・アルバム『Jazz Street』を発表。2007年4月より赤坂「ジャズピアノクラブJOE」のオーナー・ピアニストとなり、現在に至る。
土屋行子 Yukiko Tsuchiya ジャズ喫茶「ゆしま」店主
1921年(大正10年)3月18日東京都港区赤坂生まれ。戦前の幼少の頃から二人の兄の影響で、スイング・ジャズに目覚め聞き惚れ、高等女学校や洋裁学校を卒業してからも、さらにジャズ・サウンドに傾倒した。結婚をして戦後に疎開していた熱海に夫との死別後も住み続け、1952年より、ジャズを流す「喫茶ゆしま」を始める。その後1966年には、店名に「ジャズ喫茶」を付ける事となった。2022年4月に創業70年を迎える。
『店のコレクションは、観光地=熱海の1950~80年代に町に溢れていたホテルやクラブのバンドマンのお客さんの影響もあって、ヴォーカルやピアノ・ソロからビッグ・バンド・ジャズまで、かなり幅広いのが自慢です。若いお客様への100歳店主のジャズの魅力の語りが絶妙です。ジャズ・ファンの高齢化が気になっております』 (お店より)
1921年(大正10年)3月18日東京都港区赤坂生まれ。戦前の幼少の頃から二人の兄の影響で、スイング・ジャズに目覚め聞き惚れ、高等女学校や洋裁学校を卒業してからも、さらにジャズ・サウンドに傾倒した。結婚をして戦後に疎開していた熱海に夫との死別後も住み続け、1952年より、ジャズを流す「喫茶ゆしま」を始める。その後1966年には、店名に「ジャズ喫茶」を付ける事となった。2022年4月に創業70年を迎える。
『店のコレクションは、観光地=熱海の1950~80年代に町に溢れていたホテルやクラブのバンドマンのお客さんの影響もあって、ヴォーカルやピアノ・ソロからビッグ・バンド・ジャズまで、かなり幅広いのが自慢です。若いお客様への100歳店主のジャズの魅力の語りが絶妙です。ジャズ・ファンの高齢化が気になっております』 (お店より)
松田 敏 Satoshi Matsuda ピアニスト
1938年(昭和13年)1月10日鹿児島県奄美大島生まれ。1958年に早稲田大学第一文学部に入学のため上京。同大学の創部して間もないビッグ・バンド・ジャズの名門サークル、ハイソサエティ・オーケストラ(通称ハイソ)に入り、ピアノを担当する。卒業後、一旦は出版社に入社したものの、プロのピアニストを志し会社を辞め、縁あった新潟に移住。市内のナイトクラブなどで演奏活動を続けながら、ジャズ理論などを学び、研鑽を積む。1966年に再度上京し、都内で様々なクラブ等で演奏活動を続ける。1995年に銀座のジャズ・ライヴ・スペース「DREAM」に入店。2011年には前オーナーが閉店の意思を固めるも、「銀座から、日本のジャズの火を消してはならない」との強い思いから、同店のオーナーとなることを決意し、現在に至る。毎夜、店内でピアノを弾きながら、ヴォーカリストなど後進の指導にもあたっている。
1938年(昭和13年)1月10日鹿児島県奄美大島生まれ。1958年に早稲田大学第一文学部に入学のため上京。同大学の創部して間もないビッグ・バンド・ジャズの名門サークル、ハイソサエティ・オーケストラ(通称ハイソ)に入り、ピアノを担当する。卒業後、一旦は出版社に入社したものの、プロのピアニストを志し会社を辞め、縁あった新潟に移住。市内のナイトクラブなどで演奏活動を続けながら、ジャズ理論などを学び、研鑽を積む。1966年に再度上京し、都内で様々なクラブ等で演奏活動を続ける。1995年に銀座のジャズ・ライヴ・スペース「DREAM」に入店。2011年には前オーナーが閉店の意思を固めるも、「銀座から、日本のジャズの火を消してはならない」との強い思いから、同店のオーナーとなることを決意し、現在に至る。毎夜、店内でピアノを弾きながら、ヴォーカリストなど後進の指導にもあたっている。