2022年度
ジャズ大賞
大隅寿男 Toshio Osumi ドラム奏者
1944年(昭和19年)6月23日福井県芦原温泉生まれ。1969年、明治大学を卒業と同時にプロとしての活動を開始。山本剛(p)、八城一夫(p)、大野雄二(p)、中村誠一(ts)などのコンボでセッションを重ね、1978年に自己のトリオを結成。1983年には初のリーダー・アルバム『ウォーターメロン・マン』を発表。1986年にはベースのロン・カーターをゲストに迎えたセカンド・アルバム『ザ・メロディーズ・オブ・ラヴ』をリリース。アン・バートン(vo)、ミッキー・タッカー(p)、阿川泰子(vo)、リチャード・パイン(as)などのアルバムにも参加。
2005年1月『スイングジャーナル』誌の日本ジャズ界に最も貢献した人物らに贈られる賞【第30回南里文雄賞】を受賞する。ジャズのスウィング感とファンキーな感覚がミックスされた演奏スタイルと温かな人柄でライヴ・シーンにおいて根強い人気を誇る。
1944年(昭和19年)6月23日福井県芦原温泉生まれ。1969年、明治大学を卒業と同時にプロとしての活動を開始。山本剛(p)、八城一夫(p)、大野雄二(p)、中村誠一(ts)などのコンボでセッションを重ね、1978年に自己のトリオを結成。1983年には初のリーダー・アルバム『ウォーターメロン・マン』を発表。1986年にはベースのロン・カーターをゲストに迎えたセカンド・アルバム『ザ・メロディーズ・オブ・ラヴ』をリリース。アン・バートン(vo)、ミッキー・タッカー(p)、阿川泰子(vo)、リチャード・パイン(as)などのアルバムにも参加。
2005年1月『スイングジャーナル』誌の日本ジャズ界に最も貢献した人物らに贈られる賞【第30回南里文雄賞】を受賞する。ジャズのスウィング感とファンキーな感覚がミックスされた演奏スタイルと温かな人柄でライヴ・シーンにおいて根強い人気を誇る。
鈴木良雄 Yoshio Suzuki ベース奏者
1946年(昭和21年)3月21日長野県木曽福島生まれ。早稲田大学文学部卒。早大モダンジャズ研究会ではピアノを担当。卒業後渡辺貞夫に師事。彼のバンドでベースに転向。1969年~1973年の間、渡辺貞夫、菊地雅章のグループで活躍。1973年渡米し、1974年スタン・ゲッツ、1975年~76年アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのレギュラー・ベーシストとして活躍。1985年帰国後、自己のグループ「MATSURI」、1993年に「EAST BOUNCE」を結成。
2001年に新グループ「BASS TALK」を結成、2011年6月に増尾好秋(g)とのDUOアルバムを発表し日本全国70か所に及ぶツアーを行う。〈チンさん〉のニックネームでミュージシャン、ファンから親しまれ、日本ジャズ界のリーダー的存在である。現在は世代を超えたメンバーで作る「THE BLEND」を率いている。
1946年(昭和21年)3月21日長野県木曽福島生まれ。早稲田大学文学部卒。早大モダンジャズ研究会ではピアノを担当。卒業後渡辺貞夫に師事。彼のバンドでベースに転向。1969年~1973年の間、渡辺貞夫、菊地雅章のグループで活躍。1973年渡米し、1974年スタン・ゲッツ、1975年~76年アート・ブレイキー&ザ・ジャズ・メッセンジャーズのレギュラー・ベーシストとして活躍。1985年帰国後、自己のグループ「MATSURI」、1993年に「EAST BOUNCE」を結成。
2001年に新グループ「BASS TALK」を結成、2011年6月に増尾好秋(g)とのDUOアルバムを発表し日本全国70か所に及ぶツアーを行う。〈チンさん〉のニックネームでミュージシャン、ファンから親しまれ、日本ジャズ界のリーダー的存在である。現在は世代を超えたメンバーで作る「THE BLEND」を率いている。
タイムファイブ Time Five ジャズ・コーラス・グループ
同志社大学軽音楽部出身の男性5人(田井康夫、野口鎮雄、勅使河原貞昭、吉村晴哉、杉江浩平)で1968年(昭和43年)に結成されたグループ。学生時代のバンドネームは、「モダン・フラ・ハワイアンズ」。当時、ハワイでヒットしていたコーラスグループ「INVITATIONS」の曲「ナニワイメア」を歌って大学対抗バンド合戦で優勝。結成50年を超えても、メンバーは一度も変わったことがない。大学対抗バンド合戦に優勝後上京、プロとして活動を開始以来、楽器を演奏しながらコーラスするというスタイルと、テンションを駆使した高度なハーモニーをグループのカラーとして、コンサート・ライヴ、テレビ、ラジオに出演。1000本以上に及ぶコマーシャル音楽の制作に携わってもいる。2000年 芸術選奨文部大臣賞大衆芸能部門を受賞している。
同志社大学軽音楽部出身の男性5人(田井康夫、野口鎮雄、勅使河原貞昭、吉村晴哉、杉江浩平)で1968年(昭和43年)に結成されたグループ。学生時代のバンドネームは、「モダン・フラ・ハワイアンズ」。当時、ハワイでヒットしていたコーラスグループ「INVITATIONS」の曲「ナニワイメア」を歌って大学対抗バンド合戦で優勝。結成50年を超えても、メンバーは一度も変わったことがない。大学対抗バンド合戦に優勝後上京、プロとして活動を開始以来、楽器を演奏しながらコーラスするというスタイルと、テンションを駆使した高度なハーモニーをグループのカラーとして、コンサート・ライヴ、テレビ、ラジオに出演。1000本以上に及ぶコマーシャル音楽の制作に携わってもいる。2000年 芸術選奨文部大臣賞大衆芸能部門を受賞している。
中村誠一 Seiichi Nakamura テナー・サックス、クラリネット奏者
1947年(昭和22年)3月17日東京都生まれ。クラリネットを大橋幸夫氏に師事。サックスを石渡悠史氏に師事。国立音大サックス科卒業。在学中より山下洋輔トリオでデビュー、フリー・ジャズを演奏。その後、自己のグループ、「ジョージ川口 New Big4」で演奏活動を行う。1978年渡米、ジョージ・コールマンに師事。「中村照夫とライジング・サン」でボブ・ミンツァーなどとクラブ、コンサートに出演。帰国後、NTV『今夜は最高』にタモリと出演。2001年からは吉岡秀晃と「BoNoBo Land」を結成し定期的にコンサートを開催。洗足学園音楽大学教授として多くの後進を指導。2019年、娘のジャズ・シンガー紗理、ダンサー戸山雄介が中心となり、ジャズ・ビッグ・バンド「The Stompers」を結成。デュオから多人数編成まで、様々なユニットでジャズ・クラブやコンサートに出演している。洗足学園音楽大学名誉教授。
1947年(昭和22年)3月17日東京都生まれ。クラリネットを大橋幸夫氏に師事。サックスを石渡悠史氏に師事。国立音大サックス科卒業。在学中より山下洋輔トリオでデビュー、フリー・ジャズを演奏。その後、自己のグループ、「ジョージ川口 New Big4」で演奏活動を行う。1978年渡米、ジョージ・コールマンに師事。「中村照夫とライジング・サン」でボブ・ミンツァーなどとクラブ、コンサートに出演。帰国後、NTV『今夜は最高』にタモリと出演。2001年からは吉岡秀晃と「BoNoBo Land」を結成し定期的にコンサートを開催。洗足学園音楽大学教授として多くの後進を指導。2019年、娘のジャズ・シンガー紗理、ダンサー戸山雄介が中心となり、ジャズ・ビッグ・バンド「The Stompers」を結成。デュオから多人数編成まで、様々なユニットでジャズ・クラブやコンサートに出演している。洗足学園音楽大学名誉教授。
中村照夫 Teruo Nakamura ベース奏者、音楽プロデューサー
1942年(昭和17年)3月1日東京都生まれ。1964年5月、日本大学芸術学部在学中にニューヨークへ。巨匠レジー・ワークマンに師事し、多くの現地ミュージシャン等の交流を経て、1969年ロイ・ヘインズ・バンドでプロデビューを果たす。その後、自己のグループ「ライジング・サン」を結成、同バンド名義のアルバム『マンハッタン・スペシャル』がジャズ・チャート・トップ10入り。さらには1979年に日本人初のカーネギー・ホール出演などという華やかな話題を集めた。以降「ニューヨークに中村照夫あり」という大いなる存在感を示し続け、1995年以降14年以上にわたり、エイズ救済などを目的としたコンサートを日米で開催した。自身のアルバム制作やコンサート活動以外にも、イヴェント・プロデュース、写真家、DJ等、八面六臂の活躍を現在に至るまで続けている。
1942年(昭和17年)3月1日東京都生まれ。1964年5月、日本大学芸術学部在学中にニューヨークへ。巨匠レジー・ワークマンに師事し、多くの現地ミュージシャン等の交流を経て、1969年ロイ・ヘインズ・バンドでプロデビューを果たす。その後、自己のグループ「ライジング・サン」を結成、同バンド名義のアルバム『マンハッタン・スペシャル』がジャズ・チャート・トップ10入り。さらには1979年に日本人初のカーネギー・ホール出演などという華やかな話題を集めた。以降「ニューヨークに中村照夫あり」という大いなる存在感を示し続け、1995年以降14年以上にわたり、エイズ救済などを目的としたコンサートを日米で開催した。自身のアルバム制作やコンサート活動以外にも、イヴェント・プロデュース、写真家、DJ等、八面六臂の活躍を現在に至るまで続けている。
古野光昭 Mitsuaki Furuno ベース奏者
1947年(昭和22年)1月1日三重県伊勢市生まれ。東京音楽大学卒業。NHK交響楽団 元首席・檜山薫氏に師事。宮田英夫カルテットでプロ入り後、渡辺貞夫グループ、ジョージ大塚グループ、今田勝トリオを経て、自己のグループ「古野光昭 Expression」を結成する。本多俊之スーパーカルテット、ホットセッション(向井滋春・板橋文夫・古澤良治郎)、辛島文雄トリオ、阿川泰子グループ等数多くのセッション、レコーディングに参加。障害者センターで慰問コンサートを18年間行い、近年は「古野光昭フルノーツ」として小中学校・養護施設などで音楽鑑賞コンサートやワークショップを行うなど、子供たちの音楽教育にも熱心に取り組んでいる。また山下洋輔(p)、渡辺香津美(g)、日野皓正(tp)、寺井尚子(vln)等と企画公演も行っている。
1947年(昭和22年)1月1日三重県伊勢市生まれ。東京音楽大学卒業。NHK交響楽団 元首席・檜山薫氏に師事。宮田英夫カルテットでプロ入り後、渡辺貞夫グループ、ジョージ大塚グループ、今田勝トリオを経て、自己のグループ「古野光昭 Expression」を結成する。本多俊之スーパーカルテット、ホットセッション(向井滋春・板橋文夫・古澤良治郎)、辛島文雄トリオ、阿川泰子グループ等数多くのセッション、レコーディングに参加。障害者センターで慰問コンサートを18年間行い、近年は「古野光昭フルノーツ」として小中学校・養護施設などで音楽鑑賞コンサートやワークショップを行うなど、子供たちの音楽教育にも熱心に取り組んでいる。また山下洋輔(p)、渡辺香津美(g)、日野皓正(tp)、寺井尚子(vln)等と企画公演も行っている。
増尾好秋 Yoshiaki Masuo ギター奏者
1946年(昭和21年)10月12日東京都中野区生まれ。ジャズ・ピアニストの父を持ち、幼少の頃より音楽に親しむ。早大モダンジャズ研究会在籍中に渡辺貞夫グループの正式メンバーに抜擢されてプロ入り。一躍スター的人気を博す。1971年にニューヨークへ渡り、モダン・ジャズの巨匠ソニー・ロリンズのバンドに通算6年間在籍するほか、リー・コニッツ、エルヴィン・ジョーンズ など数々のビッグ・アーティストと共演し「世界のマスオ」として活躍。自然体で飾らない人柄、人懐っこい笑顔に魅了されるファンも多い。2012年に30年ぶりの自己のバンド「Power Spot」を日本で結成。2016年からは自己のバンド「MAGATAMA」、その他多様なメンバー編成で活動中。現在もアメリカに拠点を置きながら日本でも精力的に演奏している。
1946年(昭和21年)10月12日東京都中野区生まれ。ジャズ・ピアニストの父を持ち、幼少の頃より音楽に親しむ。早大モダンジャズ研究会在籍中に渡辺貞夫グループの正式メンバーに抜擢されてプロ入り。一躍スター的人気を博す。1971年にニューヨークへ渡り、モダン・ジャズの巨匠ソニー・ロリンズのバンドに通算6年間在籍するほか、リー・コニッツ、エルヴィン・ジョーンズ など数々のビッグ・アーティストと共演し「世界のマスオ」として活躍。自然体で飾らない人柄、人懐っこい笑顔に魅了されるファンも多い。2012年に30年ぶりの自己のバンド「Power Spot」を日本で結成。2016年からは自己のバンド「MAGATAMA」、その他多様なメンバー編成で活動中。現在もアメリカに拠点を置きながら日本でも精力的に演奏している。
2022年度
会長賞
伊藤 潔 Kiyoshi Ito 音楽プロデューサー
1946年(昭和21年)7月24日愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学卒業後1969年CBSソニーに入社。同社退社後に1975年に加わったあいミュージック社においては、同社が契約したレコード会社=日本フォノグラム(イースト・ウインド)、ビクター(フライング・ディスク)、ソニー(オープン・スカイ)といったレーベルの為に100作品を超えるアルバム制作を続けた。そのなかでも渡辺貞夫の『カリフォルニア・シャワー』や日野皓正の『シティ・コネクション』などが大ヒットを記録し、当時の日本における一大ジャズ・ブームの牽引力となった。1987年に独立プロデューサーとなってからも、ナンシー・ウィルソン、スティーヴ・ガッド、エディ・ゴメスといった海外アーティスト、鈴木良雄、伊藤君子、寺井尚子、綾戸千絵、佐藤允彦等の邦人のアルバム・プロデュースを担う。これまでグラミー賞にも2度ノミネートされており、日本を代表するジャズ・プロデューサーとして今なお多忙を極めている。
1946年(昭和21年)7月24日愛知県名古屋市生まれ。慶應義塾大学卒業後1969年CBSソニーに入社。同社退社後に1975年に加わったあいミュージック社においては、同社が契約したレコード会社=日本フォノグラム(イースト・ウインド)、ビクター(フライング・ディスク)、ソニー(オープン・スカイ)といったレーベルの為に100作品を超えるアルバム制作を続けた。そのなかでも渡辺貞夫の『カリフォルニア・シャワー』や日野皓正の『シティ・コネクション』などが大ヒットを記録し、当時の日本における一大ジャズ・ブームの牽引力となった。1987年に独立プロデューサーとなってからも、ナンシー・ウィルソン、スティーヴ・ガッド、エディ・ゴメスといった海外アーティスト、鈴木良雄、伊藤君子、寺井尚子、綾戸千絵、佐藤允彦等の邦人のアルバム・プロデュースを担う。これまでグラミー賞にも2度ノミネートされており、日本を代表するジャズ・プロデューサーとして今なお多忙を極めている。
川島重行 Shigeyuki Kawashima 音楽プロデューサー
1946年(昭和21年)6月30日佐賀県唐津市生まれ。横浜市立大学在学中にドラマーとしてバンド活動に励む。1968年にキングレコードに入社。1977年「日本発信の世界に通用するジャズの制作を」という社命を受け、国内外のアーティストのよるアルバム制作を手掛ける事となった。邦人においては増尾好秋、本多俊之、益田幹夫、森園勝敏、海外アーティストはアート・ブレイキーやギル・エヴァンスといったジャズの多くの巨人たちの制作に関わったが、なかでもギル・エヴァンス・オーケストラによる『バド&バード』は、1988年度グラミー賞ビッグバンド部門を受賞し、日本人初のグラミー賞プロデューサーになった。 また企画制作した「マンハッタン・ジャズ・クインテット」は、ジャズ・レコードとしては異例のヒットを記録することとなった。近年はフリー・プロデューサーとして、松田聖子のジャズ・アルバムの制作にも関わる。手掛けたアルバムは350枚を超える。
1946年(昭和21年)6月30日佐賀県唐津市生まれ。横浜市立大学在学中にドラマーとしてバンド活動に励む。1968年にキングレコードに入社。1977年「日本発信の世界に通用するジャズの制作を」という社命を受け、国内外のアーティストのよるアルバム制作を手掛ける事となった。邦人においては増尾好秋、本多俊之、益田幹夫、森園勝敏、海外アーティストはアート・ブレイキーやギル・エヴァンスといったジャズの多くの巨人たちの制作に関わったが、なかでもギル・エヴァンス・オーケストラによる『バド&バード』は、1988年度グラミー賞ビッグバンド部門を受賞し、日本人初のグラミー賞プロデューサーになった。 また企画制作した「マンハッタン・ジャズ・クインテット」は、ジャズ・レコードとしては異例のヒットを記録することとなった。近年はフリー・プロデューサーとして、松田聖子のジャズ・アルバムの制作にも関わる。手掛けたアルバムは350枚を超える。
後藤雅洋 Masahiro Goto ジャズ喫茶「いーぐる」店主、ジャズ評論家
1947年(昭和22年)10月12日東京都生まれ。慶應義塾大学商学部在学中の1967年、東京・四谷にジャズ喫茶「いーぐる」を開店。店主として55年以上店に立ち続ける一方、ジャズ評論家としても多数の著作を刊行。ジャズの魅力を精力的に伝道している。おもな著書に『ジャズ・オブ・パラダイス』(講談社プラスα文庫)、『ジャズ喫茶四谷「いーぐる」の100枚』(集英社新書)、『ジャズ完全入門』(宝島新書)、『厳選500 ジャズ喫茶の名盤』(小学館新書)、5年にわたって刊行された『隔週刊CD付きマガジン「ジャズ100年」』シリーズ(小学館)などがある。膨大な量に加え、偏向することのないニュートラルなジャズ聴取体験に基づく具体的かつ明晰な文章は、ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。
1947年(昭和22年)10月12日東京都生まれ。慶應義塾大学商学部在学中の1967年、東京・四谷にジャズ喫茶「いーぐる」を開店。店主として55年以上店に立ち続ける一方、ジャズ評論家としても多数の著作を刊行。ジャズの魅力を精力的に伝道している。おもな著書に『ジャズ・オブ・パラダイス』(講談社プラスα文庫)、『ジャズ喫茶四谷「いーぐる」の100枚』(集英社新書)、『ジャズ完全入門』(宝島新書)、『厳選500 ジャズ喫茶の名盤』(小学館新書)、5年にわたって刊行された『隔週刊CD付きマガジン「ジャズ100年」』シリーズ(小学館)などがある。膨大な量に加え、偏向することのないニュートラルなジャズ聴取体験に基づく具体的かつ明晰な文章は、ジャズ・マニアのみならず多くの音楽ファンから圧倒的な支持を得ている。
内藤忠行 Tadayuki Naitoh 写真家
1941年(昭和16年)5月30日東京都浅草生まれ。1964年東京デザイナーズ学院写真科を卒業、単身ニューヨークに渡り、ジャズに傾倒する。内外のジャズ・ミュージシャンを撮り始め、さらにはそのルーツである「アフリカ」をテーマに精力的に撮影。1980年代後半には今度は日本文化に回帰し、「桜」「庭園」「蓮」等を撮り、その作り出す独自の世界感により、2005年スワミナサン財団によるプロジェクトの一環である、「モダン・マスターズ・オブ・フォトグラファー/ジャパン」の12人の写真家の一人に選出される。2022年写真展「ジャズ、そしてマイルス・デイヴィス」を、World Jazz Museum 21にて開催。
1941年(昭和16年)5月30日東京都浅草生まれ。1964年東京デザイナーズ学院写真科を卒業、単身ニューヨークに渡り、ジャズに傾倒する。内外のジャズ・ミュージシャンを撮り始め、さらにはそのルーツである「アフリカ」をテーマに精力的に撮影。1980年代後半には今度は日本文化に回帰し、「桜」「庭園」「蓮」等を撮り、その作り出す独自の世界感により、2005年スワミナサン財団によるプロジェクトの一環である、「モダン・マスターズ・オブ・フォトグラファー/ジャパン」の12人の写真家の一人に選出される。2022年写真展「ジャズ、そしてマイルス・デイヴィス」を、World Jazz Museum 21にて開催。
2022年度
奨励賞
黒田卓也 Takuya Kuroda トランペット奏者
1980年(昭和55年)2月21日兵庫県芦屋生まれ。現在はニューヨーク、ブルックリン在住。甲南中学の時にトランペットを始め、同大学在学中はビッグ・バンドに所属。2003年に渡米し、ニューヨークのニュースクール大学ジャズ科に進む。2014年には日本人として初めて名門ブルーノート・レーベルと契約して注目を浴びる。ジャズをベースにヒップホップなどの要素をも取り入れた、ジャンルにとらわれないその音楽性が、内外で幅広い支持を得ている。
1980年(昭和55年)2月21日兵庫県芦屋生まれ。現在はニューヨーク、ブルックリン在住。甲南中学の時にトランペットを始め、同大学在学中はビッグ・バンドに所属。2003年に渡米し、ニューヨークのニュースクール大学ジャズ科に進む。2014年には日本人として初めて名門ブルーノート・レーベルと契約して注目を浴びる。ジャズをベースにヒップホップなどの要素をも取り入れた、ジャンルにとらわれないその音楽性が、内外で幅広い支持を得ている。
桑原あい Ai Kuwabara ピアニスト
1991年(平成3年)9月21日千葉県出身。エレクトーンを幼少から学ぶも中学生よりピアノに転向。洗足学園高等学校音楽科ジャズ・ピアノ専攻を卒業し、2012年にプロ・デビューを果たす。2017年にはメジャー・レーベルVerve(ユニバーサルミュージック)に移籍。コンスタントにアルバム制作、ライヴ活動を続け、今、最も注目を浴びるピアニスト、作曲家の一人として活躍中。デビュー10周年記念アルバム『Making Us Alive』を9月に発売したばかり。
1991年(平成3年)9月21日千葉県出身。エレクトーンを幼少から学ぶも中学生よりピアノに転向。洗足学園高等学校音楽科ジャズ・ピアノ専攻を卒業し、2012年にプロ・デビューを果たす。2017年にはメジャー・レーベルVerve(ユニバーサルミュージック)に移籍。コンスタントにアルバム制作、ライヴ活動を続け、今、最も注目を浴びるピアニスト、作曲家の一人として活躍中。デビュー10周年記念アルバム『Making Us Alive』を9月に発売したばかり。
2022年度
功労賞
河合勝彦 Katsuhiko Kawai 名古屋「jazz inn LOVELY」店主
1944年(昭和19年)9月2日東京都中央区生まれ。中央大学在学中にジャズ喫茶通いを始める。1970年に名古屋女子大小路でジャズバー「jazz inn LOVELY」を開店。3年後にはライヴが出来るスペースとしての営業を始め、渡辺貞夫、日野皓正、山下洋輔といったトップ・アーティストを迎える。1976年に名古屋テレビ塔近くの現店舗に移転。国内アーティストはもとより、アニタ・オデイからセシル・テイラーまで、数多くの海外一流アーティストの公演を行う。2000年に30周年、2010年に40周年コンサート開催(コロナ禍により2020年の50周年は未開催)。中部地方を代表するジャズ・スペースとして圧倒的な存在であり、ケイコ・リー等ここを原点として羽ばたいたアーティストも数知れない。本年52年を迎える。
1944年(昭和19年)9月2日東京都中央区生まれ。中央大学在学中にジャズ喫茶通いを始める。1970年に名古屋女子大小路でジャズバー「jazz inn LOVELY」を開店。3年後にはライヴが出来るスペースとしての営業を始め、渡辺貞夫、日野皓正、山下洋輔といったトップ・アーティストを迎える。1976年に名古屋テレビ塔近くの現店舗に移転。国内アーティストはもとより、アニタ・オデイからセシル・テイラーまで、数多くの海外一流アーティストの公演を行う。2000年に30周年、2010年に40周年コンサート開催(コロナ禍により2020年の50周年は未開催)。中部地方を代表するジャズ・スペースとして圧倒的な存在であり、ケイコ・リー等ここを原点として羽ばたいたアーティストも数知れない。本年52年を迎える。
ジャズ喫茶「ちぐさ」 Chigusa
1933年(昭和8年)に吉田衛によって横浜野毛で創業した「ちぐさ」は、戦時中のジャズの弾圧、1945年5月の横浜大空襲による戦災を乗り越え、終戦後の1948年米軍第8軍によって市域の大部分が接収されていた野毛で復活。米軍キャンプの仕事をとるミュージシャンの溜まり場となり、そこで穐吉敏子、渡辺貞夫らがビバップを学んだ伝説のジャズ喫茶。吉田没後は創業地の地上げによって一時休業するも、「ちぐさ」を愛する人々によって2012年に同町内で再開。老朽化した店舗改装のため休業していたが、2023年12月16日営業再開する運びで、経営母体を一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館として創業90周年を迎えようとしている。授賞対象は一般社団法人「ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館」。(2023年11月一部追記)
1933年(昭和8年)に吉田衛によって横浜野毛で創業した「ちぐさ」は、戦時中のジャズの弾圧、1945年5月の横浜大空襲による戦災を乗り越え、終戦後の1948年米軍第8軍によって市域の大部分が接収されていた野毛で復活。米軍キャンプの仕事をとるミュージシャンの溜まり場となり、そこで穐吉敏子、渡辺貞夫らがビバップを学んだ伝説のジャズ喫茶。吉田没後は創業地の地上げによって一時休業するも、「ちぐさ」を愛する人々によって2012年に同町内で再開。老朽化した店舗改装のため休業していたが、2023年12月16日営業再開する運びで、経営母体を一般社団法人ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館として創業90周年を迎えようとしている。授賞対象は一般社団法人「ジャズ喫茶ちぐさ・吉田衛記念館」。(2023年11月一部追記)
関 京子 Kyoko Seki ジャズ・クラブ「BODY & SOUL」オーナー
1940年(昭和15年)12月25日東京都中野区生まれ。松竹音楽舞踊学校卒業。ジャズ好きが昂じて1965年に新宿「タロー」を開店、1974年に「BODY & SOUL」と名称変更し、以後六本木、青山を経て2021年現在の渋谷に居を移した。半世紀以上をトップ・ジャズ・クラブのオーナーとしてその経営にあたり、内外のミュージシャンとの幅広い交流を築きながら現在に至る。2015年には自伝的エッセイ『身も心もジャズ』出版。
1940年(昭和15年)12月25日東京都中野区生まれ。松竹音楽舞踊学校卒業。ジャズ好きが昂じて1965年に新宿「タロー」を開店、1974年に「BODY & SOUL」と名称変更し、以後六本木、青山を経て2021年現在の渋谷に居を移した。半世紀以上をトップ・ジャズ・クラブのオーナーとしてその経営にあたり、内外のミュージシャンとの幅広い交流を築きながら現在に至る。2015年には自伝的エッセイ『身も心もジャズ』出版。