2023年度
ジャズ大賞
秋山幸雄 Sachio Akiyama ベース奏者
1927年(昭和2年)10月15日東京都原宿生まれ。日本大学芸術学部在学中の1946年に進駐軍巡りのバンドに勧誘され、プロの道に。1949年からは八戸、仙台の進駐軍キャンプにて演奏。1955年には渡米前の秋吉敏子と共演し、さらにはトミー・パーマー楽団の一員として活動を続ける。その後いったんは音楽の世界から離れるが、1980年代にカムバック。以降、都内を中心に現在も矍鑠とした姿でライヴ活動を続けている。
1927年(昭和2年)10月15日東京都原宿生まれ。日本大学芸術学部在学中の1946年に進駐軍巡りのバンドに勧誘され、プロの道に。1949年からは八戸、仙台の進駐軍キャンプにて演奏。1955年には渡米前の秋吉敏子と共演し、さらにはトミー・パーマー楽団の一員として活動を続ける。その後いったんは音楽の世界から離れるが、1980年代にカムバック。以降、都内を中心に現在も矍鑠とした姿でライヴ活動を続けている。
大友義雄 Yoshio Otomo サックス奏者
1947年(昭和22年)3月31日東京都生まれ。幼少よりピアノやクラリネットを独学で習得。日本大学芸術学部時代にはサックスを本格的に学び、ジャズの演奏を始める。その後板橋文夫グループに参加するが、帰国した渡辺貞夫に大いなる影響を受ける。1960年代半ばには自己のグループを結成し、精力的な活動を始め、1974年には土岐英史との共演によるアルバムデビューを果たす。その後単独リーダー作『オー・フレンズ』『アズ・ア・チャイルド』『ムーン・レイ』といったアルバムを次々と発表し話題を集める。また水橋孝との共演での「男が女を愛する時」の演奏は、歴史的名演として今なおファンに語り継がれている。近年は映画音楽をも手掛けるが、ソウルフルで時に熱く、時に切なく迫る「泣きのサックス」は今も健在。海外にも多くのファンを持つ。
1947年(昭和22年)3月31日東京都生まれ。幼少よりピアノやクラリネットを独学で習得。日本大学芸術学部時代にはサックスを本格的に学び、ジャズの演奏を始める。その後板橋文夫グループに参加するが、帰国した渡辺貞夫に大いなる影響を受ける。1960年代半ばには自己のグループを結成し、精力的な活動を始め、1974年には土岐英史との共演によるアルバムデビューを果たす。その後単独リーダー作『オー・フレンズ』『アズ・ア・チャイルド』『ムーン・レイ』といったアルバムを次々と発表し話題を集める。また水橋孝との共演での「男が女を愛する時」の演奏は、歴史的名演として今なおファンに語り継がれている。近年は映画音楽をも手掛けるが、ソウルフルで時に熱く、時に切なく迫る「泣きのサックス」は今も健在。海外にも多くのファンを持つ。
村上 寛 Hiroshi Murakami ドラム奏者
1948年(昭和23年)3月14日東京都生まれ。1967年に本田竹広トリオで活動を始める。その後、菊地雅章、渡辺貞夫などのグループに参加。1978年から、本田竹広、峰厚介らとジャズ・フュージョン・グループとして人気を博した「ネイティブ・サン」を結成。1989年に「Four Sounds(峰厚介、板橋文夫、井野信義、村上寛)」を結成。このグループではプロデューサーも兼ねている。1997年からの2年間、「NHK-BSジャズ喫茶」にレギュラー・ドラマーとして出演。その後はケイ赤城トリオ、岡田勉カルテットなどで活動してきた。リーダー・アルバムに『Dancing Sphinx』『VIVO !』がある。
1948年(昭和23年)3月14日東京都生まれ。1967年に本田竹広トリオで活動を始める。その後、菊地雅章、渡辺貞夫などのグループに参加。1978年から、本田竹広、峰厚介らとジャズ・フュージョン・グループとして人気を博した「ネイティブ・サン」を結成。1989年に「Four Sounds(峰厚介、板橋文夫、井野信義、村上寛)」を結成。このグループではプロデューサーも兼ねている。1997年からの2年間、「NHK-BSジャズ喫茶」にレギュラー・ドラマーとして出演。その後はケイ赤城トリオ、岡田勉カルテットなどで活動してきた。リーダー・アルバムに『Dancing Sphinx』『VIVO !』がある。
山本 剛 Tsuyoshi Yamamoto ピアニスト
1948年(昭和23年)3月23日、新潟県佐渡郡相川町生まれ。新潟市移住後、小学生の頃からピアノを弾き始める。 高校生時代アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの生演奏の虜となりジャズ・ピアノを独習。
日本大学経済学部に入学。19歳でプロ入りし1974年レコード・デビュー。2作目『ミスティ』が大ヒット。海外の著名ジャズ祭に出演後1年間ニューヨークで音楽活動を行う。 帰国後は六本木の「ミスティ」で活動を再開。 笠井紀美子、安田南等ヴォーカリスト達と共演する一方、ディジー・ガレスピー、カーメン・マクレエ、エルヴィン・ジョーンズ、ソニー・スティット等多数の本場ミュージシャンと共演してきた。
1948年(昭和23年)3月23日、新潟県佐渡郡相川町生まれ。新潟市移住後、小学生の頃からピアノを弾き始める。 高校生時代アート・ブレイキーとジャズ・メッセンジャーズの生演奏の虜となりジャズ・ピアノを独習。
日本大学経済学部に入学。19歳でプロ入りし1974年レコード・デビュー。2作目『ミスティ』が大ヒット。海外の著名ジャズ祭に出演後1年間ニューヨークで音楽活動を行う。 帰国後は六本木の「ミスティ」で活動を再開。 笠井紀美子、安田南等ヴォーカリスト達と共演する一方、ディジー・ガレスピー、カーメン・マクレエ、エルヴィン・ジョーンズ、ソニー・スティット等多数の本場ミュージシャンと共演してきた。
2023年度
会長賞
青木和富 Kazutomi Aoki ジャズ評論家
1947年(昭和22年)8月2日東京都荻窪生まれ、深川育ち。早稲田大学理工学部卒。学生時代に『スイングジャーナル』に寄稿を開始。その後、『アドリブ』『ジャズランド』『ジャズ批評』『ラティーナ』『ブラック・ミュージック・リヴュー』『バンドジャーナル』等の音楽誌に寄稿したが、主な活動は一般誌や新聞で、共同通信社『FM fan』、マガジンハウス『平凡パンチ』『ブルータス』『クリーク』等のインタヴュー、レヴューを担当、中央公論社『海』のコラム、『マリクレール』では音楽コラムを連載。その後も雑誌が中心の執筆活動で、現在も『ジャズライフ』『CDジャーナル』のレヴュー、『日本経済新聞』でライヴ評を続けている。その他、アルバムのライナーノート、web雑誌の連載、文化講座の講師、放送では、ふくしまFMでジャズ番組を担当。
1947年(昭和22年)8月2日東京都荻窪生まれ、深川育ち。早稲田大学理工学部卒。学生時代に『スイングジャーナル』に寄稿を開始。その後、『アドリブ』『ジャズランド』『ジャズ批評』『ラティーナ』『ブラック・ミュージック・リヴュー』『バンドジャーナル』等の音楽誌に寄稿したが、主な活動は一般誌や新聞で、共同通信社『FM fan』、マガジンハウス『平凡パンチ』『ブルータス』『クリーク』等のインタヴュー、レヴューを担当、中央公論社『海』のコラム、『マリクレール』では音楽コラムを連載。その後も雑誌が中心の執筆活動で、現在も『ジャズライフ』『CDジャーナル』のレヴュー、『日本経済新聞』でライヴ評を続けている。その他、アルバムのライナーノート、web雑誌の連載、文化講座の講師、放送では、ふくしまFMでジャズ番組を担当。
2023年度
奨励賞
海野雅威 Tadataka Unno ピアニスト
1980年(昭和55年)8月15日東京生まれ。4歳からピアノを弾き始め、9歳でジャズ・ピアノを始める。東京藝大在学中の18歳からミュージシャンとして活動を始める。2008年にニューヨークへ移住。多くのミュージシャンと活動を共にし活動を続けるが、2013年には『ヴィレッジ・ヴァンガード』で、ジミー・コブ・トリオのピアニストとして日本人初出演。2016年にはロイ・ハーグローヴ・クインテットの日本人初のレギュラー・メンバーに抜擢され、ツアーで世界各地を回る。ハンク・ジョーンズを師と仰ぎその晩年も行動を共にした。2020年9月にコロナ禍のニューヨークでアジア人という理由だけで襲われ、重傷を負うも帰国し、半年の治療の末カムバック。差別や暴力に屈しないその姿は奇跡の復活として、メディアでも大きく取り上げられた。渾身の復帰第1作『Get My Mojo Back』はベストセラーを記録した。その後も日米を股にかけ活躍中である。
>>official site
1980年(昭和55年)8月15日東京生まれ。4歳からピアノを弾き始め、9歳でジャズ・ピアノを始める。東京藝大在学中の18歳からミュージシャンとして活動を始める。2008年にニューヨークへ移住。多くのミュージシャンと活動を共にし活動を続けるが、2013年には『ヴィレッジ・ヴァンガード』で、ジミー・コブ・トリオのピアニストとして日本人初出演。2016年にはロイ・ハーグローヴ・クインテットの日本人初のレギュラー・メンバーに抜擢され、ツアーで世界各地を回る。ハンク・ジョーンズを師と仰ぎその晩年も行動を共にした。2020年9月にコロナ禍のニューヨークでアジア人という理由だけで襲われ、重傷を負うも帰国し、半年の治療の末カムバック。差別や暴力に屈しないその姿は奇跡の復活として、メディアでも大きく取り上げられた。渾身の復帰第1作『Get My Mojo Back』はベストセラーを記録した。その後も日米を股にかけ活躍中である。
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2023年度
功労賞
照井 顯 Ken Terui ジャズ喫茶「開運橋のジョニー」店主
1947年(昭和22年)4月20日岩手県平泉町生まれ。岩手県立高田高校定時制課程を卒業。1967年~74年まで「希望音楽会」と題するレコード・コンサートを開催。1975年、「陸前高田ジョニー」開店。1977年、日本(和)ジャズ専門のジャズ喫茶とする。1978年、レコード・レーベル「ジョニーズ・ディスク」を創設、50タイトルをプロデュース。2001年、盛岡に「開運橋のジョニー」を開店、現在に至る。2010年、東久邇宮文化褒賞、2022年、いわて暮らしの文化特別知事表彰を受賞。
著書に『ジョニーのらくがき帳』、ジャズ物語『瑠璃色の夜明け』『ジャズ喫茶ジョニーの洗濯』等がある。盛岡バスセンター3階に2022年10月4日に「穐吉敏子ジャズミュージアム」及び「Café Bar West 38」開設した。
1947年(昭和22年)4月20日岩手県平泉町生まれ。岩手県立高田高校定時制課程を卒業。1967年~74年まで「希望音楽会」と題するレコード・コンサートを開催。1975年、「陸前高田ジョニー」開店。1977年、日本(和)ジャズ専門のジャズ喫茶とする。1978年、レコード・レーベル「ジョニーズ・ディスク」を創設、50タイトルをプロデュース。2001年、盛岡に「開運橋のジョニー」を開店、現在に至る。2010年、東久邇宮文化褒賞、2022年、いわて暮らしの文化特別知事表彰を受賞。
著書に『ジョニーのらくがき帳』、ジャズ物語『瑠璃色の夜明け』『ジャズ喫茶ジョニーの洗濯』等がある。盛岡バスセンター3階に2022年10月4日に「穐吉敏子ジャズミュージアム」及び「Café Bar West 38」開設した。