一般社団法人日本ジャズ音楽協会理事長小針俊郎は、当協会参加団体である一般社団法人横浜JAZZ協会の理事も務めており、同協会が毎月発行する月刊の会報誌HAMA JAZZにエッセイを連載しています。そこで友好団体である同協会の諒解のもと、当協会のホームページにHAMA JAZZ連載の原稿を一部加筆、修正を行うなどしてここに転載することになりました。今後適宜に本欄に掲載いたしますのでご随意にお楽しみください。
長年読もうと思いながら放置してきたある本を最近精読しました。それは上田秋成の『雨月物語』。江戸文学ですから『源氏物語』などより余程読みやすいのですがなにしろぼくは古文に弱い。挫折を恐れて現代語訳を買いました。このなかに『巻之四 蛇性の婬』というお話がありますので、今年の干支である乙巳(きのとみ)に因んでこの一編をご紹介します。ジャズと結びつけるこじつけがうまくいきますかどうか。まずは梗概を。 紀伊国の三輪が崎(和歌山県新宮市)の網元の息子に豊雄という美貌の男がいた。荒くれの漁師たちの間に育ちながら優しい性質で頭もよく新宮の神官に師事していた。ある日、講義が終わると雨が降ってきたので師から雨傘を借りて帰路についた。雨足がひどくなってきたので漁師の家の軒先を借りて休んでいた。そこに貴婦人とも見紛う美しい女がやはり雨宿りに立ち寄った。一目で彼女に魅せられた豊雄は雨傘を押し付けるように貸し与えた。その晩、真女児(まなこ)と名乗るその女の夢を見た豊雄は、翌朝教えられた家を訪ね真女児の歓待をうける。二人は理無い(わりない)仲となるのだが、ある事件が起こり女は蛇の化身であることが露見。豊雄の身を案じた親が大和に嫁いだ姉の家に転居させる。しばらく安寧に暮らしていた豊雄に縁談が持ち込まれる。「独り身でいるから妖魔が付きまとうのだ」と親兄弟も結婚に賛成である。新婦は富子といって朝廷に仕えていた都ぶりの美人。新婚二日目の夜のこと。豊雄は戯れに「宮中ではさぞ男にもてはやされたことだろう」というと富子は真女児の声音になってこうこたえる。ここは原文を引きます。 「海に誓ひ山に盟ひし事を速くわすれ給ふとも、さるべき縁のあれば、又もあひ見奉るものを、他し人のいふことをまことしくおぼして強ちに遠ざけ給はんには、恨み報いなん」 大意は「過去の契りを忘れ他の女を寵愛するとは、あなたにも増してこの女が憎い」。蛇の化身真女児が富子に化けて豊雄の前に現れたのです。 真女児の執念深さを恐れた豊雄や家族は、調伏のため小松原の道成寺(和歌山県の天台宗の寺院)の法海和尚を呼びにやる。和尚は古い袈裟を与え、ひとまずこれを富子に被せておけという。豊雄が言われたとおりにすると富子の背には三尺ほどの白蛇がとぐろを巻いている。そこへ到着した和尚はこの蛇をとらえて持参の鉄の鉢に入れ、寺に持ち帰った。以下原文。 「堂の前を深く掘らせて鉢のままに埋めさせ、永劫があひだ世に出づることを戒しめ給ふ、今猶蛇が塚ありとかや」 豊雄はその後恙なく生き命を全うした。と物語は終わっています。 蛇はその生命力の強さから執念深い生き物とされてきました。タイトルの『蛇性の婬』は淫と読むべきなのでしょう。男女の正しくない交わりと解されます。女性の情事に対する深い情動と嫉妬を題材とする物語です。寺院の名が出てきたことでお分かりのように、この物語は安珍清姫伝説に基づいています。以下、歌舞伎舞踊として作られた『京鹿子娘道成寺』の梗概です。 桜も満開の道成寺では、大蛇に巻かれで焼け落ちた鐘が新鋳されて今日は鐘供養の日。そこへ白拍子花子と名乗る女がってやってくる。女人禁制の寺なのだが美しい花子を見て所化(小坊主)たちは大騒ぎ。舞を舞うならと花子の入山を許してしまう。花子は舞ううちに鐘に近づきついに鐘の中に入る。所化たちが驚く間に花子は蛇体に変じて鐘の上に現れる。 『京鹿子娘道成寺』は娘踊りの長唄の大曲で、女形の艶やかな踊りが見どころですが、「鐘に恨みは数々ござる」という詞章のとおり本質は女の恋への執念と嫉妬。『蛇性の婬』の鉄鉢が大きな釣鐘に代えられていますが、これを焼き尽くすというところが女の情の恐ろしさでしょう。女性に縁のないぼくは、ここまで想われてみたい気もしますが。 さて、こじつけです。情の深い歌といえば極めつけはビリー・ホリデイでしょう。ここでは1944年4月1日録音のコモドア盤から「I’ll be Seeing You」をあげます。タイトルを意訳すれば「またお会いしたいわ」。彼女の恋しい人は既に遠くに行ってしまっている。彼女は彼の面影を胸に秘め、彼と訪れたであろう場所を一人さまよう。「小さなカフェ、通りの向こうの公園、子供たちが遊ぶ回転木馬、栗の木や祈りの泉」。それらすべてに彼女は彼の姿を見出している。ビリーの歌の凄みは、こうした平凡な風景を歌いながら肉体性を感じさせることです。手を差し伸べても彼はそこにはいない。かつてはその腕で彼を抱きしめ、彼も力強く彼女を抱擁したのでしょう。温かな肉体性と、彼の不在による空虚感が拮抗して、いま主人公は思考停止状態にある。それでも吐露せざるを得ない感情を彼女は絶唱している。愛だの恋だのとは一言もいわずに。 コモドア時代は彼女の絶頂期です。他にも名作「奇妙な果実」「ファイン・アンド・メロウ」「水辺にたたずみ」など傑作が多い。女性の情の深さを知るには絶好の名演揃い。興味のある方は是非聴いてみてください。
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