一般社団法人日本ジャズ音楽協会理事長小針俊郎は、当協会参加団体である一般社団法人横浜JAZZ協会の理事も務めており、同協会が毎月発行する月刊の会報誌HAMA JAZZにエッセイを連載しています。そこで友好団体である同協会の諒解のもと、当協会のホームページにHAMA JAZZ連載の原稿を一部加筆、修正を行うなどしてここに転載することになりました。今後適宜に本欄に掲載いたしますのでご随意にお楽しみください。
オールド・ファンから初心のファンまで、多くのジャズ愛好家に好まれている曲の一つがビル・エヴァンスの名演「Waltz for Debby」ではないでしょうか。私も1960年代の半ばころ野毛のジャズ喫茶ちぐさではじめて聴いたときは、可憐ともいえる美しさに驚きました。というのも、それまで主に聴いていたのがバド・パウエルやセロニアス・モンクでしたから、その印象は一陣の涼風を浴びたように感じたのです。エヴァンスの特徴は「Bill Evans Voicing」と呼ばれるもので、単純に言えば左手がコードを押さえるときにルート(根音)を省く奏法です。するとハーモニーが安定感を失い曖昧な響きになる。旧来ならば避けるべきとされた奏法ですが、エヴァンスはむしろ<曖昧さ=アドリブの自由度>のために多用したのです。 常にジャズのトップ・ランナーでありたいと考えていたマイルス・デイヴィスがこんな彼に眼をつけないはずはありません。1958年5月録音の『1958 Miles』から彼のセクステットに加わったエヴァンスは半年ほど在団します。そして翌1959年の春、名作『Kind of Blue』録音に際してマイルスはすでに退団していたエヴァンスを呼び戻すのです。今やレギュラー・ピアニストの座にはウィントン・ケリーがいるにも関わらず。 こう言ってはケリーに気の毒ですが、5曲収録のこの作品の中でケリーの演奏は「Freddie Freeloader」のみです。ハードバップの気分を残すこの曲におけるケリーのブルース演奏は立派なものですが、他の収録曲「So What」「Blue in Green」「All Blues」「Flamenco Sketches」のたゆとう漂泊感は彼には出せなかったでしょう。ブルースのコード進行に忠実すぎるからです。彼のバッキングでソロをとるマイルス以下ジョン・コルトレーン、キャノンボール・アダレイも自ずと伝統的なブルースになってしまっています。つまり「Freddie Freeloader」は完璧な『Kind of Blue』のなかで、エヴァンスがいないだけに一種異彩を放つ曲だと思います。 その後エヴァンスは1959年暮れにスコット・ラファロ(b)、ポール・モチアン(dms)とともに自己のトリオを組み『Portrait in Jazz』を録音。このメンバーで人気と名声を確立する訳ですが、洒落たスタンダード・ソングを次から次へと取り上げて、前述の「Bill Evans Voicing」で演奏するので夢幻的なサウンドがとても耳に心地よい。その白眉が1961年にヴィレッジ・ヴァンガードで録音された「Waltz for Debby」というわけです。 さて、ここまでエヴァンスの顕著な業績について書いてきましたが、実はぼくはエヴァンス・スタイルのピアノに少々辟易としています。エヴァンスの非常に斬新なハーモニー感覚に影響を受けた後続のピアニストがあまりにも多すぎる。根音省略形というコードはクラシック古典派の時代からありましたし、20世紀フランス印象派の音楽にも多用されてきました。これをジャズの演奏に取り入れてアドリブの可能性を押し広げた功績は偉大であることに違いなないですが……。 ここから今回の主題に入ります。ビル・エヴァンスと並んでモダン・ジャズ・ピアノの奏法を刷新したもう一人の巨人がマッコイ・タイナーです。フィラデルフィア生まれの彼は1955年17歳のときにジョン・コルトレーンと知り合い。1960年に彼のカルテットに迎えられます。ビル・エヴァンスより9歳年下ですが、本格的な活動開始はエヴァンスとほぼ同時期といっていいでしょう。 当時のジャズ・ピアニストの多くがセロニアス・モンクとバド・パウエルの影響下にありましたが、タイナーもその例にもれず若き日は彼らの信奉者でした。コルトレーン・カルテットに加わると、劇的に進化し続けるコルトレーンの音楽に合わせるようにパーカッシヴなものに変化します。師と仰ぐモンク、さらにはデューク・エリントンの奏法の影響もあったでしょう。音遣いもパウエル主導のバップ・ピアノとは明らかに違っている。ビル・エヴァンスと並んでタイナーの後世への影響力の大きさはこの点に拠るものです。 ざっと見渡したところ、この二人に追随するピアニストの数は、ぼくにはエヴァンスの方が圧倒的に多いと見えます。タイナー派はある時期のチック・コリアほか数人にすぎません。ぼくのジャズの好みからいって残念なことではあるのですが、この6月、若い日本女性がタイナーもかくやというというピアノを聴かせたのに仰天しました。それもこの横浜で。 この女性はMasumi Yamamotoという方で、ロサンジェルスで20年にわたってピアニスト、作曲家として活動。現地でTLQ Plusというバンドをサックス奏者のTrevor Lawrenceと結成して大活躍。ぼくが聴いたのはこのバンドの来日公演で、まさにタイナー在籍時代のコルトレーン・カルテットを髣髴とさせる演奏でした。 (理事長 小針俊郎)
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