一般社団法人日本ジャズ音楽協会理事長小針俊郎は、当協会参加団体である一般社団法人横浜JAZZ協会の理事も務めており、同協会が毎月発行する月刊の会報誌HAMA JAZZにエッセイを連載しています。そこで友好団体である同協会の諒解のもと、当協会のホームページにHAMA JAZZ連載の原稿を一部加筆、修正を行うなどしてここに転載することになりました。今後適宜に本欄に掲載いたしますのでご随意にお楽しみください。
ちょうど10年前の2014年2月に横浜市戸塚区民文化センターさくらプラザで行われた「魅惑のJAZZレコード展」は、当時横浜JAZZ協会の副理事長だった高桑敏雄さんや理事の柴田浩一さん(お二人とも故人)の協力で開催されました。この催しのPRを兼ねて、僕は同年1月号のHAMA JAZZにこんなことを書いておりました。 「現在はダウンロード購入する人もいるから、ジャケットの魅力と言ってもピンとこないかも知れない。しかし1948年にLPが発明されて以来30年余は、レコードといえば10インチ盤(25センチ)、12インチ盤(30センチ)を指した。それ以前の記録媒体はSPで、これは中心にレーベル面を露出した丸い穴が開いたペラペラの紙で包まれていただけだった。紙に印刷されていたのはレコード会社名や、他のカタログ等で、丸い穴は収録曲を知るためのもので両面に開いていた」 オールド・ファンはこんなSPの包装のことを覚えていらっしゃると思います。LPの出現は長時間収録が可能になっただけではなく、盤の包装形態にも革命を起こしたのです。 拙文の引用を続けます。 「長時間演奏が可能になったLPの発売に際して、レコード各社は価格が上がることもあって、単なる包装紙であったものに付加価値をつけることを考えた。ペラペラの袋状のものを厚いボール紙にして表面にデザインを施し、裏面に収録曲や詳細な解説を印刷したのである。30センチLPのジャケットは12センチ角のCDの6.25倍の面積があるから、写真家やイラストレーター、デザイナーにとって、腕を振う格好の場でもあった」 LPレコードはコロムビアが先行しメジャー各社はこれに追随しますが、ジャケット・デザインの面ではマイナーのジャズ・レーベルが圧倒的に優れていました。メジャーが単に商品価値をあげるために美麗であることを競ったのに比べ、ジャズ・レーベルは音楽の特異性や強烈な魅力を視覚化して、試聴するまでもなくユーザーに音楽の本質を伝えたのです。 脚線美ジャケットとして有名なソニー・クラークの『クール・ストラッティン』<ブルーノート>やマイルス・デイヴィスの『クッキン』<プレスティッジ>で有名なリード・マイルスなどと並んで、1940年代半ばからノーマン・グランツの<クレフ>と<ノーグラン>レーベル(後に<ヴァーヴ>に統合)で辣腕をふるったデヴィッド・ストーン・マーティン(DSM)もこの世界の代表的なデザイナー(イラストも)です。彼の初期の有名な作品はグランツのプロデュースするJazz At The Philharmonic(JATP)のロゴです。赤いジャケットのトランぺッターを斜め下から描いたもの。細い線で指や顔を繊細に描く一方、大胆に引かれた太い線で衣類の揺れまで感じさせるダイナミズム。そして見ただけで音が聴こえてくるようなリアリズム。 グランツはDSMの仕事に絶大な信頼を置き、以来1960年頃までグランツが手掛ける多くのアルバムのジャケットを作り続けます。アーティスト名をあげればチャーリー・パーカー、レスター・ヤング、バド・パウエル、スタン・ゲッツ、アート・テイタム、オスカー・ピーターソン、ビリー・ホリデイ、ディジー・ガレスピー等々。名をみるだけでグランツが如何にジャズ史上の巨人たちの盛時を情熱的に捉えていたことか。そしてジャズ・ファンでもあったDSMが彼らの演奏を聴くことによって、どれほど美術家としての霊感を発動させたことか。 レコード・ジャケットというものが、単に商品の付加価値ではなく、音楽の感動とともに長く人々の記憶に残るものであるかがご理解いただけると思います。 こんなレコード・ジャケットの世界に興味をもっていただいた方に、村上春樹の新著『デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界』をご紹介します。 村上は音楽にまつわる著書、訳書をたくさん発表していますが、本書は題名通りここに紹介したDSMのジャケットを演奏家別に整理し、その音楽的内容にまで言及した熱烈なジャズ・ファンの村上らしい好著です。 僕がDSMのデザインするジャケットで強烈な印象を持ったのは『BILLIE HOLIDAY AT JAZZ AT THE PHILHARMONIC(MG C-169)』です。これはインストルメンタルが中心だったJATPに初めのヴォーカリストとしてビリー・ホリデイを起用したライヴ録音です。最初は1945年2月12日録音の「ボディ・アンド・ソウル」と「奇妙な果実」を収めたEP盤として発売され、後に同じJATPコンサートにおける録音を加えてLPになりました。 ジャケットにはベッドの傍らに座り込み、泣き崩れるようにシーツに顔を伏せる裸の女性の姿が描かれています。そして意味深長なのは外れたままの電話の受話器がベッドの上にころがっていること。彼女は今しがた終わった電話の会話に失望して泣いている。何がそれほど彼女を悲しませているのか。 村上春樹はこのデザインを作ったDSMの心境をこのように説明しています。 「このような構図は彼がホリデイの歌唱に深い悲しみを感じ取っていたことを示している」。 そして僕が全く知らなかったことを明かしてくれます。 「この女性はDSMの奥さんのグローリアをモデルに使ったということだ」。 春樹さんの、こんな博識ぶりも楽しめる『デヴィッド・ストーン・マーティンの素晴らしい世界』は文藝春秋社から出ています。お値段は2,300円(+税)。視覚からもジャズを楽しみたい方にお薦めします。 (理事長 小針俊郎)
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